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<<   作成日時 : 2018/06/27 14:02   >>

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花隈のモダン寺の近くを散策すると、東側に少し歩いたところに
石垣造りの公園があります。  ここは地下が駐車場になっていますが、
昔の花隈城跡だそうです。

石垣がお城跡らしい雰囲気を醸していますが、勿論、昔のもの
ではなくて、現代に造られた公園です。

普段は人影もまばらなのですが、春には桜が綺麗なところで、
その頃には人でも多くなるところです。

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花隈城について(以下ウイキペディアより引用)

  花隈城は「鼻隅城」と書くこともあった。

これは六甲山の丘陵が海に突き出ている様子を「鼻」、
その稜線を「隅」で言い表したものである。

またかつてはこの付近一帯のことを「花熊」と呼んでいた
ことも窺える。

永禄10年(1567年)、織田信長が荒木村重に命じて築かせた
と言われているが、この時期信長はまだ入京しておらず摂津
に力を及ばす状況ではなかった。

従って、翌永禄11年(1568年)10月に和田惟政に摂津を任した
時に築いたか、天正2年(1574年)に石山本願寺と毛利氏との
警戒用に荒木村重に命じて築城したのではないかという説もある。


天正6年(1578年)、村重が信長に反旗を翻したため
(有岡城の戦い)、花隈城は荒木方(有岡城)の支城として戦った
が、池田恒興などに攻められて天正8年(1580年)に落城した。

合戦の功によりこの地を与えられた池田恒興は兵庫城を築城した
ため、花隈城は廃城となった。

兵庫城の築城にあたっては、花隈城の部材を転用したと伝え
られている。

花隈城推定地は、東は神戸市立神戸生田中学校辺り、西は
花隈町と下山手通8丁目の境付近、北は県庁前道路付近、
南はJRの高架下辺りの範囲であり、大規模な近世城郭に
分類される。

近くの福徳寺には「花隈城天守閣址碑」があり、この周辺が
本丸跡地である。

現在は、花隈城の本丸跡に、地下は駐車場、地上は公園と
なっている部分に「花隈城跡」と石碑がある。

模擬石垣や模擬天守台があるが、規模からも花隈城を類推
するものではなく、公園としての演出施設である。

すぐ南をJR神戸線が通っており、列車内からも石垣を見る事が
できる。・・・・・・(以上引用)


この花隈城辺りの地形は、六甲山系、諏訪山の山裾で、
なだらかな下り坂が西国街道に行きあたります。

そして東側は生田の方面から、小高な丘陵部をなして花隈に
続いていますし、西側には、宇治川という暴れ川が流れて
います。

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碑 「東郷の井」の由来

かつて神港倶楽部の前庭に清水を湛えた古い井戸があり、
傍らに「東郷井」の石碑があった。

土地区画整理事業による道路拡張により井戸は埋められ、
今は石碑のみが川崎重工業健保組合会館前にぽつりと
残されている。

明治十八年七月、小野浜(神戸市中央区浜辺通一帯)で
戦艦「大和」を建造中、時の海軍中佐東郷平八郎が監督として
神戸を訪れ、一年ほど神港倶楽部の家に住みんでいた。

その折、朝な夕なにこの井戸の水に親しんでいたというのである。
昭和三年の夏、東郷はこの井戸のため『清水流芳』の扁額を
神港倶楽部に寄贈。倶楽部内に掲げられていたという。

その後、昭和五年に神港倶楽部の有志がこの井戸を記念
すべく周囲を改修し、石碑を建て、同年五月十九日に
除幕式を行った。

「東郷井」は財部彪(たからべたけし)海軍大将の命名、碑の書
は小笠原長生(おがさわらながなり)海軍中将によるものである。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
私は城跡とか見るのが好きです。そこに立って当時の姿を想像するのですが…。都会では姿が変わってしまって痕跡を見つけるのも大変かもしれませんね。地名や由緒から想像するしか…。城の名前から当時の地形が目に浮かびます。熊本城も隈本城と呼ばれていたのですよ。台地の先端にあったからでしょうね。
tor
2018/06/27 21:44
torさん
この花隈城跡は、現代の偽物ですが、
信長を裏切った荒木村重という
ことで、かなり凄惨な戦いが
繰り拡げられたと思います。
村重方の身内や、お寺の僧侶なども
処刑されていますが、村重自身は
毛利家に逃れて生き延びたそうです。
有難うございました。
ポジティブオーラ
2018/06/28 08:00
花隈城がどんなお城だったかネットで見て見ましたが復元図と言うのがありましたが神戸城とは違うものですか。
とても豪華で庶民とは別格的なお城でもなく地元に密着した感じの建前ですね。
花隈も友達が居たので行ったことも有りましたが気が付きませんでした。
ま〜当時は遊ぶことに必死で好奇心も興味も持っていませんでしたからね。
ゆらり人
2018/06/28 09:20
花壇城跡飲歴史を知るとおゾおゾらしく感じます。
石組みを見ていると時に小さな穴に詰め物のような石が置かれていることに気がつきます。
この石は重要な役目をしているのだろうなァ〜と思うことがありました。
富山城でのことですけどね。
夕焼け
2018/06/28 09:41
ポジティブオーラさん お早うございます。古城、城跡のデータに付いて、前々から注目しているサイトが有りますのでご紹介させて頂きますね。郷土史研究家と言われる方々のご尽力には頭が下がる思いです。【古城探訪】http://www.geocities.jp/kitamejirou/index.htm  花隈城跡も記述が有りますね。400年も前の城跡の位置が今も確認出来るのは嬉しいですよ。(^^♪
y&m
2018/06/28 10:37
ゆらり人さん、神戸城というのは
聞いた事がないですが、時代の
違いはあっても、幾つか知られて
いるようです。 摩耶山・再度山・
布引の滝山城などが良く知られて
いるようです。
花隈は昔も今も花街の雰囲気が
ある様に思います。
有難うございました!
ポジティブオーラ
2018/06/28 12:50
夕焼けさん
石垣の詰め物のことは分かりませんが、
時々、石仏などが入れられてるときが
ありますね。 当時の人は気に
ならなかったのでしょうか?
石工が大石を割る時に、石の目を
見ているそうですが、石垣にも
目があるのかも知れないですね。
有難うございました!
ポジティブオーラ
2018/06/28 13:03
y&mさん
古城探訪の紹介、ありがとうございます。
福徳寺というお寺は知りませんでしたが、
花隈城の天守があった処だそうですね。
私は、思い付きでブラブラしています
ので、何時も見逃しているところが
多いですね! 少しは計画的にとは
思いますが、せっかちな性格は
全く治りません。 おかげで、気に
なるところは、二度三度と訪れる
無駄を楽しんでいます。
有難うございました!
ポジティブオーラ
2018/06/28 13:20

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