長谷寺の奥宮、瀧蔵神社

今日は榛原に住む、20数年来の友人と近鉄榛原駅で待ち合わせ。

美榛苑で食事のあと、車で長谷寺の奥宮と言われる”瀧蔵神社”まで
連れて行ってもらいました。

かなり不便なところで、途中から車一台がやっと通行可能な狭い村道を
くねくねと走り、神社にたどり着くことが出来ました。

この神社には、樹齢400年と言われる権現桜という桜が有名なようで、
数週間前には多くの車で混雑していたようです。

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鐘楼
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瀧蔵神社
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拝殿
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拝殿前左側の石灯篭前に磐座があります。(福石か?)

本殿
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このお宮は、長谷寺の奥宮としてその意義が大きかったようで、
長谷寺との両参りが古来からの習わしだったということです。

しかし、今では桜の季節以外は参拝される方は少ないように思います。
もちろん、バスなどは入って来れない狭い村道では余程の関心がないと
参拝することもない様に感じました。

私も以前から参拝を望んでいましたが、このたび運よく友人の計らいで
おまいりすることが出来ました。


この日は美榛苑で食事を済まして出るころから、少し小雨模様になりましたが、
ほんのお湿り程度で、かえって気持ちよく参拝することが出来ました。


はじめ、拝殿裏の本殿に全く気付かなかったのですが、拝殿の裏手に回り、
その少し開けた境内から見上げるように見る本殿は小振りですが、大変
気高く、気品があふれている様に感じました。

特に拝殿と本殿の間の空間はスッキリとした清々しい感じがあり、昨今
喧伝されているあちこちのパワースポットと言われるところで感じる
俗気が無く、大変気持ちが良い空気を味わうことが出来ました。


瀧藏神社 ご由緒

ご祭神 伊弉冊尊(右殿)
    伊弉諾尊(中殿)
    速玉命 (左殿)

 神話唯一の夫婦神と御子を祭り、三社権現にて滝倉権現・滝倉明神・
 滝倉大菩薩と呼ばれる。

 後に毘沙門天・疱瘡神を合祀す。

一、神階 延喜二十年(921)従四位下
     天慶 三年(940)正二位
一、神殿 創建年代不詳・三間社流造・権現鳥居
     (棟札)文禄三年(1594)修復以後十一回

一、文献
   元長谷八郷の鎮守、地主神にて天慶九年(946)「長谷寺延喜」に
滝倉権現のお告げに依り大泊瀬<おおはつせ>山を「与喜地」・「与喜山」
として菅原道真公に護られたとの夢物語が書き残され、以来滝倉を
「本地主神」、与喜山を「今地主神」と云われた。

 長谷寺の奥の院と称し、古来より信仰深き神社にて長谷寺へお詣り
しても当社へ参詣しなければ御利益は半減すると伝えられ「今昔物語」
巻十九に平安時代当時の滝倉明神の社殿その他長谷寺との関係が
具体的に書かれている。

 鎌倉初期・保延四年(1138)に書かれた「長谷寺観音記」に美福院
(七四代鳥羽天皇妃)長谷寺に参詣、夢のお告げにより滝倉権現の
尼の力で姫を若宮(七六代近衛天皇)と取り替えて貰ったという誕生
の秘密が記されて有り、院はお礼に「滝倉の拝殿を営作す」と有る。

 尚、「豊<ぶ>山玉石集」には、当山を滝倉大菩薩と云う三社有り
「新宮権現」は女体柔和の姿。

本地「薬師如来」・「滝倉権現」は老父の形・本地「虚空菩薩」・
「石蔵権現」は比丘の姿。本地「地蔵菩薩」有る。

一、神社付近 

  古鐘 神宮寺 応永二十六年(1420)
          
       
      ┏弥勒菩薩(吉野町時代)  神社下
  石佛 ┫地蔵菩薩(鎌倉時代)   西方寺
      ┗十三佛 (享保七年、室町)峠垣内
      
  塚  黄金塚・明星塚
                        以上



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