弓場八幡神社

月見山駅から南東方向の住宅地の中に鎮座

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御祭神  誉田別尊(応神天皇)

合祀      五十猛尊 (権現社)

         菅原道真公(天満宮)


境内社  弓瀧稲荷神社(倉稲魂命)


由緒 

 一説に永延年間(987~989)第66代一條天皇の御代
に創建されたと伝えられるが、その年月日は不詳である。

 誉田別尊を主祭神として奉斎し、明治中期頃より権現社・
天満宮を境内末社として奉斎したが、昭和29年(1954)の
本殿建替えを機に、その御祭神五十猛尊・菅原道真公を
合祀し、東須磨村一円の氏神としての崇敬はもとより、
近郷の信仰をも集め、厄除開運の神社として広く崇敬され
ている。

 『武庫郡誌』によると、境内に33間の射場を有し、明治に
なるまでは陰暦の2月1日に「御弓の当」という儀式が
行われたと記されている。

 かつて、東須磨村は徳川幕府の直轄地であったが、
明治になってこの儀式が突然途絶えたことは、武士社会
からの世相変化によると思われるが、現在その資料も
散失しているのは残念なことである。

 通称弓場八幡と呼ばれているのは、勿論「御弓の当」
に由来している。

 先の阪神淡路大震災で社務所が全壊したにも関わらず、
収納されていた「みこし」は奇跡的に被害を免れた。

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境内の地蔵堂・なかよし地蔵尊
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現在の神社境内は住宅に囲まれ、狭いという印象で、
明治以前には33間(約60M)もの射場があったとは
信じられない印象があります。

旧東須磨村に鎮座していることから、東須磨の権現さん
證誠神社との繋がりが深い様に思われます。

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この記事へのコメント

  • tor

    八幡様多いですね。
    菅原道真公も合祀されていますが。
    こちらは菅原神社も含めて天満宮が多いですね。
    2019年03月01日 19:18
  • ポジティブオーラ

    torさん
    有難うございます。
    本当に八幡さんは多いですね。
    この辺りは、宇佐から岩清水
    につながる八幡ルートの様な
    ものがある様に感じています。
    須磨と言う土地から、證誠神社の
    五十猛尊、綱敷天満宮の天神さん
    が境内末社としてあったものが、
    昭和の本殿改築で合祀されたようです。
    九州は大宰府天満宮の影響も大きい
    でしょうね!
    ありがとうございました。



    2019年03月01日 20:33
  • y&m

    地図で確認しました。本当ですね、住宅に囲まれて33間60Mの通し矢が行われたイメージが有りませんね。周囲は全て神社の敷地だったのでしょうね。(^^♪
    2019年03月02日 01:11
  • ポジティブオーラ

    y&mさん
    有難うございます。
    徳川政権の終焉と同じ頃に
    弓を使った祭礼も終わった
    ようですが、境内も随分狭く
    なっているようです。
    昔話には狐もいたような
    話ですが、境内にあります2~3本
    の楠が微かに面影を残している
    様に思いました。
    ありがとうございました。
    2019年03月02日 09:28

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