関守稲荷神社(須磨の関旧跡)

今迄にも何度か記事にしていますが、今回の西国街道歩きの
繋がりで紹介させて頂きます。

現在の須磨付近の様子からは想像もつかない辺鄙な時代、
ここから海岸沿いを塩屋・明石方面に歩いて旅することが
出来ない時代があったようです。

現在のJR・国道2号線・山陽電鉄が通る鉢伏山麓付近は
”赤石の櫛淵”と言われた荒磯で、平安時代まで、都から
来た山陽道は須磨までくると鉢伏山南麓の荒磯をさけて
山間を迂回し、 西進していました。

その道筋は須磨から多井畑を経て塩屋に出、海辺を西に
進み玉津町や岩岡の南方を通っていました。



須磨の関は、大宝令に定められている摂津の関のことで、
海陸を兼ねた関であったといわれています。

天下の三関、(「伊勢の鈴鹿の関」「美濃の不破の関」
「越前の愛発(あらち)の関」)についで重要な関でした。

関守稲荷神社は、この関の守護神として、まつられたと伝え
られ、「源氏物語」で光源氏が須磨に退居していた時、
巳(み)の日祓(ひはらい)をしたところをここになぞらえ
「巳の日稲荷」ともいわれています。

(須磨の関跡の地としては、現光寺の地、多井畑などと
諸説があります。)
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明治時代初めに千守(森)川と西国街道の交差する
土中から掘り出された石碑(長田宮)の側面に 
川東左右関屋跡 と刻まれています
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境内の歌碑

源 兼昌
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 あはじしま かよふちどりの なくこゑに

          いくよねざめぬ すまのせきもり
  兼昌



藤原 俊成

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  聞き渡る 関の中にも 須磨の関 

          名をとどめける 波の音かな  
 俊成



藤原 定家

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 桜花  たが世の若木 ふり果てて 

          須磨の関屋の  跡うづむらん 
 定家

      

須磨の関を詠んだ古歌
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この記事へのコメント

  • tor

    西国街道の要衝の関を守る
    名称も関守稲荷神社なのですね。
    歌碑もあり鑑賞もできますね。
    歌から風景や心情などを思い浮かべるのも良いですね。
    2019年03月04日 19:17
  • ポジティブオーラ

    torさん
    有難うございます。
    須磨の関が何時ごろまで
    その役目を果たしていたのか
    分かりませんが、平安時代の
    歌人たちからすると、実際に
    来たことが無くても歌心を
    刺激されるところだったようですね!
    昔は、実際に現地に来ていなくても
    イメージ豊かに思い描くことが
    出来たのだと思います。
    この須磨の関跡も、数年前までは
    もう少し薄暗い処で、それなりの
    情緒も在りましたが、最近綺麗に
    整備されたので情緒が失われたように
    思うのが残念です!
    ありがとうございました。
    2019年03月04日 19:41
  • y&m

    海沿いの街道は突然、山側に迂回して再び海側に戻るなんて場合が多いですね。昔、熊野古道大辺路を歩いていたら何度も山側に振られました。当たり前のことですが、当時の土木技術では、海側に街道を設置することは無理だったんですね。文化遺産等も、突然現在の道筋から山側に外れるのも頷けます。
    2019年03月06日 10:17
  • ポジティブオーラ

    y&mさん
    いつも有難うございます。
    須磨浦の海岸の現在の姿からは
    古代の様子を中々想像しがたいのですが、
    山裾迄海が来ていて通行が出来なかった
    ということでしょうね!
    それは、熊野の古道などは、
    より困難で危険な状態が海岸沿い
    には多かったと思います。
    今の様にトンネルを掘ったり、橋を
    架けるなどという事も無理な中で、
    少しでも安全な山の中の道を
    歩くように選んだのですね。
    山賊や妖怪が怖いです!
    ありがとうございました。

    2019年03月06日 14:33

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