長田神社参拝

神戸の長田神社へ参拝して来ました。

高速長田神社前駅で下車。 村野工業高校横に祀られ
ています源平兵士の一人、監物太郎の碑がありますので、
少し寄り道しました。
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監物太郎について(日本伝承図鑑より引用)

 監物太郎頼賢(頼方とも)は、平家の大将・平知盛
の家臣であった。
世に言う一ノ谷の合戦の際、平家の主力である知盛の
軍勢は生田の森に陣取って源氏と戦っていたが、劣勢
になると浜へと逃れ船で海上へと退却を始めた。
大将の知盛も、嫡男の知章、家臣の監物太郎を伴って
海辺へ向かって馬を駆っていた。
ところがその途中で源氏方の児玉党と遭遇、鍔迫り
合いが始まった。

踵を返した監物太郎が先陣を切る敵の首を矢で射抜いて
倒す。その隙に、敵方の大将と思しき者が組み合おうと
知盛に近づくが、それを助けんと知章が逆に敵に組み付
き落として、その首を取った。
しかし知章はその場で立ち上がろうとしたところで、
別の敵に首を斬られてしまう。
監物太郎は、知章を斬った敵に飛びかかって討ち取ると、
さらに矢を打ち尽くし、矢が尽きると太刀を抜いて
群がる敵を相手に奮戦した。
だが多勢に無勢、ついに左膝を射抜かれると、座り
込んだまま討死となってしまうのであった。

監物太郎が討死したとされる場所は、現在碑がある場所
から離れたところとされる。
享保年間(1716-1735年)に儒学者の並河誠所が監物太郎
の忠義を顕彰するために、討死の地からより人通りの多い
西国街道沿いである現在地に移動させたという。
平家方の名のある武将が多数討死した一ノ谷の合戦の
古戦場周辺には、いくつもの碑が立っている。
しかし監物太郎のような平家の郎党身分の者の碑は稀で
ある。




長田神社付近
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長田神社境内

 (東鳥居)
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 (西鳥居)
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今夜の神前薪能の準備がされていました
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長田神社由緒
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 ご祭神  事代主神

鎮座 沿革

 神功皇后摂政元年春2月、皇后が新羅より御帰還
の途中、武庫の水門に於て「吾 を御心長田の国 に祠れ」と
のお告げを受けて、山背根子の女・長媛を奉仕者として創祀
された全国有数の名大社である。
(日本書紀 神功皇后摂政元年条 西暦201年と伝える)

古来、皇室をはじめ武門の崇敬あつく、延喜式の制では
名神大社 更には祈雨八十五座に列し、神戸(かんべ)41戸
もって奉祀護持され、今日の神戸発展の守護神と仰がれて
いる。神戸の地名はこの神戸(かんべ)に由来する。

日本書紀に云う長田国は、東は湊川(現新開地)、西は須磨
一ノ谷(摂津・播磨の国境)を云い、その中央を流れる苅藻川
の中州に奉斎された。
現在の長田区、兵庫区、須磨区、北区南部を云う。

又、古伝によれば「鶏鳴の聞こゆる里は、吾が有縁の地なり」
とのお告げにより、にわとりが神の使いと尊ばれ、奉賽の鶏
が境内に群れ遊び、外国人より「チキンテンプル」と親しまれた。


ご神徳

事代主神は、世に広く「恵美主(えびす)さま」「福の神」とも
お讃え申し上げ、商工業をはじめ、あらゆる産業の守護神、
日々の生活の開運招福・厄除解除の神として崇敬され、
神戸市民から「長田さん」と親しまれて、神戸市民の心の
拠り所、願いを叶え応える神として篤く敬仰されている。

神話に語り伝えられている如く、遠く神代の昔、平和と円満
を心とされて、父神・大國主神の「國譲り」の大業を助けられ、
日本國家建国の基礎確立に大きな役割を果された。
更には、國家鎮護の神、皇室守護の神、言霊鎮魂の神として、
宮中奉斎八神の一柱と宮中神殿に奉鎮され、皇室の篤い崇敬を
うけておられる。
日本書紀に伝える、神功皇后の新羅遠征という國家非常時に
当たり、再び御神徳を現わされて皇軍を守り導き給い、その
御帰還の途中自らの御神意を以て、海外発展の要地である
神戸の地にお鎮まりになり、1800年を迎える。
明治29年、官幣中社に列格。 
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 古い境内絵図(江戸後期)
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境内摂末社
 (蛭子社・出雲社)
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 (八幡社)
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 楠宮稲荷社
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 赤エイの絵馬
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神撫山遥拝所・手前に千度石が
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赤エイ絵馬の奉納祈願由来

長田神社は、苅藻川の河口の上流、海より北に約550㍍程の
川中の中州に鎮座する。(現在は2.5km程はなれる。
6世紀以前の海抜等高線や池の痕跡から海岸線が推定される。)
現社頭の八雲橋架橋は文化9年(1812)、古来参拝者は川の置石を
裸足になり渡っていた。

古伝によると、6世紀頃の初秋、繁殖の為岸辺近くに寄ってきた
赤えいの群が、夜の台風による暴風雨で増水した苅藻川を溯り、
水でひたひたの境内に入り、近在の人がこれを発見捕獲しようと
後を追ったが、御神木「樟」の付近で見失ってしまった。

以来、この御神木「樟」は、神の化身である「赤えい」の宿る処
「長田神社摂社・楠宮稲荷社の御神木」と崇敬敬仰されてきた。

絵馬奉納の始まりは、

明治25年(1892)頃、楠宮稲荷社の井戸の傍らで茶店を営み、
放し飼いの鶏(長田神社の神使)の餌の大豆を売っていた谷本もん
と云うお婆さんが、細長い尾の先端に毒のある棘を取り除いた赤えい
を書いた絵馬を作り、参拝客の願掛けに勧めたのに始まると伝える。
茶店は大正13年(1924)の火災で廃絶、以来神社が引き継いで
授与し今日に至っている。

赤えい絵馬に、年令、干支、男女別を書き 御神木周囲の透垣に掛けて
祈願するが、あらゆる疾病に効験があるとの病気平癒の深い信仰があるが、
その90%は痔疾平癒の祈願であり、楠宮稲荷社は「痔(じ)の神様」
と言われている。
痔の平癒を願う赤えい絵馬の奉納者は、主として神戸をはじめ近畿一円
に多いが、北は北海道、南は沖縄、又韓国・台湾からの奉納依頼もある。

 赤エイの楠
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 天照社
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 月読社・松尾社・神楽殿
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 名優 中村時蔵(中村吉右衛門父奉納灯篭
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 (神楽殿)
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境内の楠木の巨木
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新湊川
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この記事へのコメント

  • わけい

    こんばんわ!
    こうべの由来はかんべだったんですね。
    なるほど、参考になりました。
    ところで、引用文を書く場合に、面白い方法がありますので、もし気が向いたらでけっこうですが、試しに使ってみてください。
    引用文のタグ:<blockquote>ここに引用部分のテキスト文を書く</blockquote>
    以上です。
    このままだと、引用部分は斜体で表示されます。
    普通に表示する場合は、引用部分を<p></p>で囲んでください。
    <blockquote><p>ここに引用部分のテキスト文を書く</p></blockquote> となります。
    お遊びみたいですが面白い効果が現れます。
    なお、上記のタグはここに表示させるために全角の<>で囲みましたが、実際の使用は半角で入力お願いします。
    以上、お節介でした。
    それから、前回のコメントで、保江先生の遍歴のアドレスをありがとうございました。
    よく読みました。色々なことがあったようですね。
    また、ポジティブオーラさんが保江先生の著書を2冊も読まれていたことに驚きました。
    2019年08月02日 00:22
  • ポジティブオーラ

    わけいさん
     いつも有難うございます。
     引用方法教えて頂き有難うございます。
     少しずつでも試していけるように
     頑張りたいと思います。
     ブログには未だに手こずっています。
     昨日も30分ほど掛かって記入した記事が
     操作ミス?で一瞬で消えるということが
     ありました。なかなか使いこなせません!
     ありがとうございました。
     
     
    2019年08月02日 07:39
  • トトパパ

    こんにちは。

    長田神社、行ったことあります。
    いい感じのところですね。
    本殿も立派ですね。
    参道はこんな感じでしたっけ。
    なんかいい感じですね。
    2019年08月02日 08:29
  • ポジティブオーラ

    トトパパさん
    有難うございます。
     長田神社へ行かれたことが有るのですね。
     参道は東側の鳥居につながる道と、西側の
     鳥居につながる道がありますが、この 
     写真は東側の鳥居に向かう処です。
     商店街の通りから続いています。
     境内の楠宮稲荷社の楠が全国的に
     有名なようですね!
     ありがとうございました。
    2019年08月02日 08:56
  • ヒゲ爺

    いつもご訪問有難う御座います。
    ナイス(^ǒ^)ナイス
    なるほどn( -v- )nなるほど 神社仏閣 勉強になります
    2019年08月02日 11:21
  • y&m

    ポジティブオーラさん 足の具合はいかがでしょか?。
    初めての箇所は慎重に治療された方が良いですね。
    ご自愛ください。
    と言いながら私メ、本日は久しぶりに湿布のお世話に
    なっております。(>_<) 
    なかなかスッキリとは行きません(笑)。
    神戸が"かんべ"は私も初めてかも知れませんね。
    大昔、"神戸(かんべ) 一郎" なんて歌手が居ましたが
    神戸の出身だったのか?。
    神社の石物が赤く色が出ているのは、潮の加減でしょうか?。海岸線がもっと手前に有ったからか。
    泉南地方でも古いものに、このような色合いが
    出ているのを見ました。それとも石質の問題で鉄分の
    含有量の影響ですかね。
    2019年08月02日 13:04
  • ポジティブオーラ

    ヒゲ爺さん
    いつも有難うございます。
     早朝でも暑いのではないでしょうか?
     気を付けて下さい。
     ありがとうございました。
    2019年08月02日 14:54
  • ポジティブオーラ

    y&mさん
     いつも有難うございます。
     足の方は整骨院に行っていますが、
     少しは良くなったかな?と言う程度ですが
     一回ごとの費用が馬鹿にならないために
     止めたいのですが離してくれません!
     最近は足より懐が痛いです(泣)
     神戸一郎と言う歌手がいましたね。
     調べますと次のように書いてありました。
     兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校、神戸商科 大学卒業。
     芸名は歌手の藤山一郎のような美声と歌の上手さから、 「神戸の藤山一郎」…神戸一郎になった・・そうです。
     昔の海岸線は今よりは確実に近かったと
     思います。 海が荒れるとエイや魚がこの辺り
     でも取れたようですね。
     y&mさんも大事にして下さい!
     ありがとうございました。
     
    2019年08月02日 15:16
  • tor

    神戸へは一度しか行ったことがないのですが
    こちらの「かんべ」からなのですね。
    こちらの神社は「赤エイ」なのですね。
    阿蘇神社は「ナマズ」ですよ。
    クスノキも立派ですね。瘤が多いですね。

    話がそれるのですが
    九州の山に登ると鉱山跡がよくあるのですが
    必ず登場する人物がいます。
    「ハンスハンター」
    神戸旅行での楽しみの一つでした。
    2019年08月02日 20:38
  • ポジティブオーラ

    torさん
    いつも有難うございます。
    神戸「かんべ」の話は私も知らずに
    少し意外な感じがしました。
    「赤エイ」とか「ナマズ」など面白い
    ですね。他にも色々あるかも知れないですね。
    神戸王子動物公園内に「旧ハンター邸」が
    保存されています。ハンター坂というところも
    ありますね。
    ハンス・ハンターで検索しますと、日本と
    英国のハーフで範多範三郎とも言った
    そうですが、初めて知りました。
    有難うございました。
    2019年08月03日 06:55
  • ヒゲ爺

    コメントの返信テストのお願い!!!
    下記のポジティブオーラさんのコメントに返信しますので
    届いている確認してください。
    返信欄の入力マス内のコメント内容は、消さずにそのままでお願いします。
    《内容》
    私もコメント欄から返信で記入していますが、
    返信が相手方にも届いているとありがたいですね!

    2019年08月03日 11:32
  • ポジティブオーラ

    >ヒゲ爺さん

    了解しました!
    >
    >コメントの返信テストのお願い!!!
    >下記のポジティブオーラさんのコメントに返信しますので
    >届いている確認してください。
    >返信欄の入力マス内のコメント内容は、消さずにそのままでお願いします。
    >《内容》
    >私もコメント欄から返信で記入していますが、
    >返信が相手方にも届いているとありがたいですね!
    >
    >
     相手方に返信が届くことが分かりませんでしたが、
     どうでしょうか?
    2019年08月03日 13:29
  • yoppy702

    一ノ谷の合戦といえば、義経の逆落とし。(^^ゞ
    神戸から須磨の方が舞台やったと思うのですが、この戦いって、色んなドラマがあったんですね。
    須磨寺には、この戦いで語り継がれた源平の庭もありますし、須磨には、敦盛の塚もありますもんね。
    兵庫津を歩くまでは、平家って、あまり良いイメージはなかったんですけど、清盛さんってスゴイ方やったんやなぁ…ってイメージが出来ました。
    もし、福原の都が、もっと長く続いていたら、日本は変わっていたでしょうね。
    2019年08月03日 17:49
  • アルクノ

    長田神社は初詣でしか行った事が無く、この様に詳しく説明して頂きフムフムとなりました。
    長田神社ではこの暑い時期に神前薪能が行なわれんですか。
    検索すると、動画がありました↓
    幽玄の美 長田神社で「神戸薪能」
    https://www.youtube.com/watch?v=ENJhe5E2pMw
    境内の楠木の巨木ですが、乳房のような女体に見える幹が何とも不思議です。
    毎回魅入ってしまいます。
    2019年08月03日 17:57
  • ポジティブオーラ

    yoppy702さん
     いつも有難うございます。
     一ノ谷合戦の逆落としの現場と言われている
     ところもありますが、鵯越の逆落としと言われて
     いる所も兵庫区に有りますね。
     この逆落としの場所についても古来色々な
     話があり、その話に付随する史跡も出来ている
     ところが面白いのですが、確定していないのが
     残念です。
     平家も武門の出から、一気に公家化したところ
     で、時代に逆行したことが衰退に向かった
     原因だと思います。
     清盛があと10年長生きしていたら、神戸の
     都も、もう少し変わっていたかも知れない
     と、思うことは有りますね!
     ありがとうございました。
    2019年08月03日 18:07
  • ポジティブオーラ

    アルクノさん
     いつも有難うございます。
     長田さんへ初詣も良いですね。
     アルクノさんでしたら、生田・湊川・長田と
     三社参りも楽勝ですね!
     長田神社とは上田観世会との繋がりが深い
     ようで、以前から薪能が開催されていました。
     しかし、あの衣装での仕舞は大変な時期だと
     思いました。
     楠木の巨木ですが、特にご神木としての
     扱いはされていないのが不思議です。
     楠宮稲荷社の楠は流石にご神木の扱いでした。
     ありがとうございました。
    2019年08月03日 18:18
  • ミクミティ

    さすが神戸ですね。源平兵士の碑が点在しているのですね。その頃の歴史も興味深いです。
    更に、由緒ある長田神社には、数々の歴史上の有力者も参拝したことでしょう。日本書紀に登場する物語にかかわっているのが凄いですね。事代主神がご祭神なので出雲と大和の融合の象徴的な場所でもあったのかと創造します。
    2019年08月03日 22:25
  • ポジティブオーラ

    ミクミティさん
    有難うございます。
    源平の戦いでは、この長田区で多くの
    平家有力武将が亡くなっています。
    明泉寺から苅藻川、駒ヶ林にかけて
    平家武将の慰霊碑が多いです。
    長田神社で何故事代主神をお祀りしているのか、
    というのは考えると不思議ですね。
    本来なら神功皇后でもおかしくないのですが、
    神功皇后の影も形も見られないのが不思議です。
    ありがとうございました。
    2019年08月04日 06:27
  • winga

    こんばんは。
    暑い中にお疲れ様です。
    毎回取材されてる?っていうくらい詳しく丁寧で
    解りやすいです。
    読者は有難い。

    長田神社。広いのかしら。
    恵比寿様。参拝者に幸せくださるといいですね。
    クスノキ立派❗
    2019年08月04日 19:02
  • ポジティブオーラ

    wingaさん
    有難うございます。
     長田神社の境内は特別広くはありませんが
     かと言って狭くも無いという処です。
     なぜ事代主神がお祀りされているのか
     神功皇后伝説は別にして不思議なところ
     です。
     えびす神も、西宮神社の戎系と美保神社の
     事代主系がありますが、なぜこの長田で
     事代主神が・・・と言う疑問が有りますが
     よく分かりませんでした。
     アカエイ伝説の楠宮稲荷の楠木は有名ですが、
     この立派な楠木は注目する人も少ない
     様に思いました。
     矢張り、御利益の有無が大事なようです!
     ありがとうございました。
    2019年08月04日 19:35
  • kazukun

    こんにちは
    負け戦というか、退路の軍や武将の末路というのは悲惨なものですが、本隊の撤退を助ける為に、追撃軍に対する捨て身の殿を務めた者に対する、日本民族の追悼と鎮魂なのでしょね。

    2019年08月05日 06:41
  • ポジティブオーラ

    kazukunさん
    有難うございます。
     源平合戦当時でも、最後まで主人を守り
     戦うということは少なかったかも知れない
     ですね。それで監物太郎の様な働きが注目された
     こともありそうです。
     名のある武将でなくて慰霊碑があるのは
     大変珍しいことだそうで、日本人の心に
     訴えるものがあったのだと思いました。
     ありがとうございました。

    2019年08月05日 06:58
  • トンキチ

    おはようございます。
    長田神社にはお参りしたことがないと思います。
    いつか機会があれば、由緒ある神社ですので、参拝に訪れたいと思います。
    2019年08月06日 05:07
  • ポジティブオーラ

    トンキチさん
     おはようございます!
     長田神社は熱心な参拝者が多いようです。
     私も、あまり長田さんへは行っていませんが、
     当日、本殿は勿論、摂末社の一つ一つに
     何度も礼⇒柏手を繰り返すグループや
     本殿に向かい長く変わったお参りをする人
     などがいました。
     トンキチさんも機会が有れば長田の事代主神
     へお詣りしてください。
     ありがとうございました。 
     
    2019年08月06日 06:54
  • yasuhiko

    事代主神は恵比寿さんと同一視されたりも
    するので、庶民の信仰を広く集めてるんですね。
    「万福笑来」の文字が、恵比寿さんの
    ふくよかな笑顔のように見えてきました。
    2019年08月08日 15:55
  • ポジティブオーラ

    yasuhikoさん
    有難うございます。
     事代主神は美保神社が事代主系恵比寿社の
     総本社ですが、この神戸で祀られている
     ことが不思議な感じがしました。
     境内末社に蛭子社と出雲社があることから
     出雲に何らかの繋がりが有るのか疑問が
     残りました。
     「万福笑来」の文字が、恵比寿さんの
     笑顔に見えるのはyasuhikoさんのやさしさ
     の気持ちが表れているのだと思いました。
     ありがとうございました。
    2019年08月08日 18:53