カタカムナ神社と平十字

まだ五月だというのに青天の暑い日が続いております。 そんな日差しの中 カタカムナで知られた金鳥山周辺を歩いて来ました。 阪急岡本駅で知人と待ち合わせて、保久良神社から金鳥山、風吹き岩から 横池を見て打越山、住吉谷、そして阪急御影駅というお決まりのコースを 歩きましたが、今日は膝の調子が悪く、かなりしんどい歩きでした! 保久良神社 ところで、今まで、カタカムナ神社だとか、平十字という猟師などの話は 架空というのか、その実体が全く不明でしたが、楢崎皐月さんの話から それらの情報について書いておられる方がいました。 それは、芳賀俊一さんという方が「直感本質宇宙 カタカムナの使い手に なる」という本で、楢崎さんの話と言うことで平十字について書かれています ので、少し引用したいと思います。 『楢崎さんは「カタカムナの図象符は平十字から写し取ったものである」と 書き残していますが、平十字と言う人物が本当に実在したのか、その存在を 証明するものはほとんどない。 楢崎さんがカタカムナとどこで出会ったかは、 はっきり言って不明なのです。・・・だから平十字はエネルギー体じゃないのか、 とか、楢崎は平十字と会っていないんじゃないかとか、・・・それは間違いです。 楢崎さんが書いた「日本の物理学」の第11講の中に、「平十字を慰労する会 について」という項目があり、「平さんから写し取ったものを我々がこうやって 利用させてもらっているので、平さんを呼…

続きを読む

阿波一宮 大麻比古神社

今回の四国参拝の最後に連れていってもらいましたのが、阿波の国の 一の宮と言われています、大麻比古神社でした。 800メ-トルもあるという石灯籠の長い参道を車で走り、神社前を流れる 川近くの駐車場まで乗り入れました。 祓川橋 由緒 神武天皇の御代、天太玉命の御孫 天富命 勅命を奉じて 洽く肥沃の地 を求め 阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して  殖産興業の基を開き 国利民福を進め給ひ、その守護神として、太祖 天太玉命を此の地に斎き祀る。 猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合せ祀る と伝えられる。 延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波、淡路両国の総産土神 として崇め奉る。 大麻比古大神とは、大昔阿波国を開拓した阿波の忌部氏の大祖先の 神様です。 神武天皇の御代に忌部氏の子孫が阿波国に入り国土を開拓して麻とか 楮(かじ)の種を播いて麻布とか木綿をつくり郷土の産業の基を開いて 人々の福利を進められました。 その氏族は今の吉野川市 元の麻植郡を拠点として開拓をされましたが 国土開発の事業が漸く成った後に御先祖の神様 天日鷲命をおまつり しました。 この神社は今徳島市に忌部神社としてまつられており、この神様の御神徳 をたたえて麻植の神と申して敬ってきました。 忌部神社の御祭神天日鷲命様の大先祖の神様が天太玉命で此の神様 を大麻比古神社と申し上げ郷土の守り神と…

続きを読む

讃岐一の宮 田村神社

高松にあります田村神社は、讃岐一の宮としての古い歴史と格式で 多くの参拝客で賑わっていました。 ただ、この神社は、参拝者を楽しませる多くのオブジェが作られており、 大変面白く楽しませてくれる境内になっています。 そしてそれは、どこかの猿真似テーマパークのちゃちな安っぽいものとは 違い、かなりお金を掛けているなということが良く分かり、全てが丁寧に 作りこまれているように感じました。 依頼した神社側と製作者側、それぞれが気を入れてアイデアを出し、そして 丁寧に作ったなという思いがしました。 そのせいか、子供さんたちも喜んでお参りしているようで、こういう神社との 思い出作りが出来るところは少ないのではないでしょうか! 【田村神社ご由緒】 当社の起源は極めて古く社記によれば和銅二年(709)に社殿が創建された とあり往古より「田村大社」「定水大明神」又は「一宮大明神」とも称され、 人々より篤く崇敬されてきた。 嘉祥二年(849)従五位下に叙せられ貞観三年(861)官社となり名神大社 に列せられ、讃岐國の一宮に定められて後は神階を授けられ建仁元年 (1201)正一位の極位に叙せられた。 当社の奥殿の床下には深淵があり、厚板でこれを覆い殿内は盛夏といえ ども凄冷の気が満ちていて古くから神秘を伝えている。 又領内で水旱があれば領主奉行は必ず先ず当社に祈願したといい、定水 大明神と称される所以である。 奥殿深淵には龍が棲み…

続きを読む

讃岐の不動の滝

讃岐の琴弾八幡宮の参拝を終え、車に乗り込んだとたんに強い雨が 降り出しました! 参拝中は全く雨の気配はなかったのですが、参拝後、駐車場に戻り 車に乗り込んだとたんの雨、それもかなり強い雨が降り出し、この雨は 不動の滝まで続きました。 不動の滝は香川県三豊市の七宝山の絶壁に懸かり、五十メートルほど の高さから豪快に流れ落ちていました。 ここは、弘法大師空海が岩に不動像を刻んだことから不動の滝と言われて いるそうです。(どこかは分かりませんでした) 写真で滝の雰囲気が伝わると良いのですが・・・・現地では絶壁の迫力が 凄いです!

続きを読む

琴弾八幡宮

観音寺市の琴弾山の上に鎮座。 本来ならば川沿いの境内地から石段を上がり山頂のお宮をお参りする ところですが、私達は自動車道を上がり、直接山頂まで行きました。 途中の展望所からは、有名な寛永通宝の砂絵が望めました! 弓張月の史跡   曲亭 滝沢馬琴の『弓張月』の史跡。   源為朝の妻、白縫姫が当宮に於いて、保元の乱に敗れた夫(為朝)を   平氏に売った家来の武藤太を討ち果たした舞台。 琴弾八幡宮 歴史  社伝では、大宝3年(703年)3月、琴弾山で修行していた日証上人  が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに  船を山頂に運び祀ったのに始まると伝える。  そのとき、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」の社名がある。  同時に当社の神宮寺として、後に第69番札所観音寺となる神宮寺を建立  した。  大同2年(807年)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の  本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院  (じんねいん)として第68番札所に定めたという。 御祭神    応神天皇    神功皇后    玉依姫 由緒  『七宝山八幡琴弾宮縁起』によれば、大宝三年三月、西方の空俄かに  鳴動し、黒雲天を覆い日月光を失うこと三ヶ日夜、時に海浜に一艘の  船が現れて、船中より巧妙神秘な琴の音が発せられ、万民が近づく  と「われ…

続きを読む

弥蘇場(八十八)の霊泉

白峰宮の西方、約百M程のところに今も枯れることのない清水が湧き出でて いるところで、弥蘇場(八十八)の霊泉と言われているところがあります。 別名、野沢井とも呼ばれて水色清碧、質は芳しく甘く、どんな干ばつ時にも 涸れることがないという霊泉です。 この霊泉での驚くべき伝説?色々と語り継がれています。  景行天皇の御代、悪魚が南海を荒らしたので、日本武尊の御子、讃留  霊王、すなわち武穀王は天皇の命を受け、この国の椎の海(大槌・小槌  の間)でこれを退治。 しかし、部下の郡兵は悪魚の毒気に当たり、昏倒  したが、その時一人の神童が現れ、瓶の水を王に奉った。  王が飲んでみると甘露のような甘さで、気分もにわかに爽快なるを覚えた  ので、神童に案内させてその霊水を汲み、兵士たちの顔にそそいだり、  飲ませたりしたところ全員が蘇生したので、その水を『弥蘇場の水』と  言うようになった。  また、崇徳天皇が亡くなられた時には、白峯山で荼毘に付すための勅許  を得る間の約20日間、崇徳上皇の遺体は【八十場の霊泉】に漬けられて  いたという。  8月という、かなり気候的に保存が難しい季節にもかかわらずである。  しかし、この当時から“霊泉”として知られていた水につけていた為か、  腐敗することなく保たれたという話が残っているそうですよ。 特に山の奥というようなところでなく、山裾から平地に移るような場所 ですし、池そのものも浅いのでなかな…

続きを読む

四国ドライブ参拝 讃岐白峰宮

山陽自動車道から瀬戸大橋を渡り、香川・徳島の神社を巡り参拝 して来ました。 いつものように姫路のKさんのお誘いで、一日たっぷりと四国のお宮の エネルギーを満喫できた時間を過ごすことができました。 四国の神社を参拝するのは初めてでしたが、普段なじみのある関西の 神社とは違う、独特の個性的な狛犬(獅子)がそれぞれの神社で見られ 大変ほっこりとした気分を作り出していました。 また、さすが四国と言うのか、神社と八十八寺巡礼の札所が近接して おり共存共栄しているように思いましたが、今の時期柄の影響か知れ ませんが、どこともお寺の参拝者よりも神社のほうが多くの人出で賑わって いたように思います。 お遍路さんの時期はもう少し暖かくなってからのようですね。 この日、参拝しました順路は、坂出の崇徳天皇社(白峰宮)~琴弾八幡宮 ~不動滝~田村神社~白鳥神社~大麻比古神社と巡り、淡路島を通って 帰って来ました。 瀬戸大橋を渡る 崇徳天皇社 白峰宮 由緒  第七十五代崇徳天皇(上皇)の霊を祀るお宮として、第七十八代二条   天皇の命によって社殿を造営したのがはじまり。     保元の乱に敗れ、讃岐に流されて「讃岐院」とも呼ばれた崇徳院を祀る。   「白峰」の名は、崇徳院の白峰御陵に因む。   崇徳院は、保元元年(1156)讃岐に流された。初めは当社近くにあった   雲井御所に滞在し、その後、讃岐国庁の木丸殿に移された。 …

続きを読む

初日の出

平成29年の元旦は、温暖で澄み切った気候に恵まれ、落ち着いた 初日の出の光を十分に味わうことが出来ました。 大阪湾に昇る日の出を見に海岸に行きましたら、すでに多くの人達が 海の彼方の山際に目を向けていました。 人それぞれの思い、願いは分かりませんが、その願いが叶う一年になればと 思わされる素晴らしい日の出でした! このブログに縁ある皆様に、太陽の様な かがやき と、 ハッピーマインド のエネルギーが届きますことを祈っています!!!!

続きを読む

榛原駅から鳥見山公園を経て長谷寺温泉

四年前にも同じコースを歩きましたが、今回は長谷寺の参拝は遠慮し、 長谷寺温泉(湯元井谷屋)に入ることを楽しみにしながらのハイキング です。 四年前の記憶もあやふやで、あれ!こんなに坂道が長かった? あれ! なかなか分岐が出てこないな? などと、自分の記憶と感覚のずれが 酷くて戸惑いながらのハイキングになりました。 前回の時はひと月程早かったので、紅葉も綺麗な鳥見山公園で、行楽の 人も数人おられたのですが、今日は、紅葉の時期も過ぎ、誰一人として 居ない寂しい山中でした。 ↓2012・11・15の同コースの記事 http://singon1koumyou.at.webry.info/201211/article_2.html では、いつものように今日のスナップ写真です! 近鉄の榛原駅で下車し、北側の鳥見山を目指して住宅街の坂道を登って 行きます。 鳥見の清水(公園に向かう坂道の途中にありました) 鳥見山公園の勾玉池 この場所は神武天皇東征伝説に関するゆかりの場所だそうです。 そして 桜井市の南方にも同じく鳥見ゆかりの神社があります。 (桜井市の鳥見山と等彌神社) 鳥見霊時跡(とみのまつりのみやあと) 鳥見社拝殿 祭神は、皇祖天神(みおやのあまつかみ)、大山祇御祖命(おおやまつみみおや のみこと)、神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)の三神だそうです。 近くに”降神石”と書かれた岩がありま…

続きを読む

須磨寺火渡り修行

11月23日、勤労感謝の日に神戸の真言宗須磨寺派の大本山須磨寺境内 で火渡り修行が行われていました。 須磨寺は平安時代から続く古刹ですが、NHKの大河ドラマ源義経でも有名 になったように、平家の若武者平敦盛の故事にちなんだお寺としてよく知られ ていますし、江戸時代では僧良寛が立ち寄ったことでも知られています。 さらに、自由律俳句の尾崎放哉が一時、堂守をしていたこともあるようです。 須磨寺縁起   仁和二年(886)に聞鏡上人が勅命を受けて七堂伽藍を建立。 これより先   に兵庫の和田の岬の海中より出現された聖観世音菩薩像を本尊として   奉祀したことに始まる。   正式な寺名は上野山福祥寺。 そんな須磨寺で火渡り修行の行事に知り合いが参加するということで、見に 行きました。 その時のスナップ写真です! まずは本堂前でお参り 柴燈護摩

続きを読む

伊雑宮参拝

昨日、九州の知人と伊雑宮を参拝させていただきました。 数年振りの参拝になりましたが、遷宮後初めて参拝出来ました。 この伊雑宮(いざわのみや。いぞうぐう)は内宮の別宮として、倭姫さん ともゆかりがあるそうなのですが、このお宮の由来に関しては複雑な 話が伝わっており、なかなか真偽は分かりませんが、そのことがオカルト? 好きの注目を集めているところのようです。 近代ではユダヤとの関係を強調される人も多いようですが、江戸時代には 伊雑宮の神官達が、宮の所領失地回復を申し出た事件が良く知られて います。 そのおりに、幕府に伊雑宮の故事として、伊雑宮が天照大御神の本家 であり、内宮・外宮は分家という主張がされたそうです。 その話によると、内宮は星宮で瓊瓊杵尊を祀り、外宮は月宮で月読命 を祀ると言う話であったために、神官達は追放されるという処罰が下され たと言うことです! こちらに詳しく書かれています! http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/shosai/sh-01/isawa.html 伊雑宮 井戸 巾着楠 勾玉池 境内の巨木(楠木) 御神田 伊雑宮周辺の地図      色々見所が紹介されていますが、今回は時間がなく回れませんでした。   次回の機会にはゆっくりと見てみたいと思いました。 近鉄上之郷駅…

続きを読む

白兎神社

”因幡の白うさぎ”の神話で良く知られた話ですが、その白うさぎと大国主命 が出会ったところだそうです。 白兎海岸沿いの国道から小高い丘に向かって参道が続いています 参道の両側にはウサギの飾りをつけた石柱が並んでいます 隠岐の島(白兎がいたとされる島) 八上姫と大国主命の砂像 ガマの穂 白兎神社由来(ウィキペディアより引用)   白兔神を主祭神とし、保食神を配祀する。 白兔神は日本神話に登場する因幡の白兎のことであり、その説話の内容から 皮膚病に霊験のある神として、また、大国主と八上姫神との婚姻を取り持った ことから特定の人との縁結びの神としてかなわぬ恋をかなえ、特定の人との 親交をより深めると信仰される。 さらに、遠国の人もこの兎に願えば早く国に帰れるという。また医療の神でもある。  (創建) 創建の由緒は不詳である。 かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれた。 戦乱で消失し、鹿野城主だった亀井茲矩により慶長年間に再興された。 戦乱焼失後、白兎神の御神体は現白兎神社の南方10キロの山上に位置 する松上神社に遷座されていたという。 現在の本殿は明治時代の再建。亀井茲矩はこれに先立って摂津国 御霊神社(祭神瀬織津姫)を当時の自邸敷地内に遷座・復興していた。 鎮座地は身干山と呼ばれる丘で、因幡の白兎が身を乾かした山と伝えられる。 境内には、白兎が体を…

続きを読む

鳥取・若桜神社

若桜神社(鳥取県八頭郡若桜町)は数か月前にも参拝しましたが、 その際に非常に強いエネルギーを感じたこともあり、今回は再確認を 兼ねての再拝です。 前回と変わらず、この日も手がしびれるような感覚があり、手のひらは まっ赤になっていました。 山の中に続く石段の途中に随身門があります 更に山懐に入るように本殿のある高台に向かって石段が続いています ワクワクするような存在感を感じながら本殿に向かいます 若桜神社 若桜神社の創建は不詳ですが、古くは八兵衛谷(若桜鬼ヶ城の麓)に 鎮座し「松上大明神」と称していました。 鎌倉時代初期に梶原景時の変で功があり因幡国山田周辺が与え られた矢部氏が若桜鬼ヶ城を築いた際、宮ノ元に遷座し、以来、 歴代若桜鬼ヶ城主に庇護されたことで社運も隆盛しました。 広く知られるようになると元弘3年(1333)には後醍醐天皇が京都に 還幸の際、名和長年が鉾を奉納、山名氏が因幡国の守護になると神鏡 を寄進しています。 天正9年(1581)、羽柴秀吉による因幡侵攻の兵火により多くの社殿、 社宝が焼失し一時荒廃しますが、その後若桜鬼ヶ城の城主となった 木下備中守が社殿を再建しています。 慶長6年(1601)山崎甲斐家治が若桜鬼ヶ城の城主になると熊野権現 (赤松村)と八幡神(三倉村)を合祀し社殿を再興し、元和3年(1617)に 2代山崎家治が備中国成羽藩(岡山県高梁市成羽町)に移封となりると、 当地…

続きを読む

姫路・祝田神社

姫路の郊外の山裾に鎮座 姫路とはいえ、田畑が多く残るところで、近隣の人達が常に繋がりを 持って、大事にお守りしている様に思いました。 神馬像 境内には迫力のある神木が空に向かって聳えています 祝田神社 祭神 罔象女命 高おかみ命 創立年代は不詳だが当地きっての古社で、林田の名も祝田の転称で あるとも言われている。 初めは水神である罔象女神だけを祀っていたが、のちに京都貴船神社 の祭神である高おかみ命を勧請して合祀したという。 祭神に因んで神社背後の山を貴船山、谷を美津波女谷と名づけられている。 江戸時代には藩主建部氏が累代の氏神とし、いっさいの社務を藩主が扱う ほどであった。 石灯籠や絵馬など藩主ゆかりの遺品も多い。 境内の摂社・末社は10を数える。現社殿は明治23年の建立。 本殿裏手の高台に日本武尊の像があります 本殿脇には小さな池が 古い絵馬がたくさん残されています 石灯篭

続きを読む

書写山円教寺ハイキング

厳しい暑さが続き、寝苦しい日々に体もバテ気味ですが、だらけた体に 活を入れるつもりで歩いて来ました。 目的地は、姫路の書写山円教寺です。 ロープウェイを使わずに、旧参道の一つ、東坂参道を汗をかきながら 上って行きました! 姫路駅北口の18番バス停からバスに乗り、書写バス停で下車。 お堂脇から東坂の参道が続いています。 登り口には”奉仕の杖”が沢山置いてあります 道は整備されていますが、岩盤の道は少し歩きにくいですし、風もなく 強い日差しで汗が吹き出します。 何度か休みながら、ロープウェイの駅に到着 書写山は性空上人と和泉式部で有名です 志納所で志納金500円を支払い円教寺へ向かいます 西国27番 天台宗 書写山 円教寺   康保3年(966)、性空上人によって開かれる。  「この山に登る者は菩提心を起こし、また、峰に棲む者は六根を浄められる」  という、文殊菩薩のお告げのとおり、摩尼殿上の白山(准胝峰)に於いて  上人は六根清浄の悟りを得られて。  この上人の徳を慕って多くの人々が集まり、「西の比叡山」と呼ばれた。 摩尼殿 大講堂 食堂 奥の院 開山堂 開山堂の近くに和泉式部歌塚と言われるものがあります 護法堂 護法堂 乙天社・若天社(重要文化財) 室町時代後期、永禄2年(1559年)建立 乙天・若天は、性…

続きを読む

室生龍穴神社ハイキング

35度を超える暑い日差しの中でしたが、、近鉄の室生口大野駅で下車し、 ここから東海自然歩道の山越えの道を、室生の龍穴神社・吉祥龍穴まで テクテクと歩いて来ました 数年前にも同じ道を歩きましたが、季節が違い、今回は大変きつく感じました 丁度と言うのか、昨日のお昼頃からギックリ腰になりかけの様な腰の張りを 覚えていましたので、足も進みませんし、暑さともたたかいながらの ハイキングになりましたが、後で確認すると、お茶などの水分をぺットボトル 6本ほど飲んでいました   かなりの量ですがいくらでも飲めそうな気分です 大野寺 (カメラの設定が白黒になっていました) 真言宗室生寺派 伝承では白鳳9年(681年)、役小角(役行者)によって草創され、天長元年 (824年)に空海(弘法大師)が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという。 役小角は修験道の開祖とされる伝説的要素の多い人物であり、空海が堂を 建立との話も創建を宗祖に仮託した伝承とされており、創建の正確な経緯は 不明である。 近くにある室生寺は興福寺系の僧によって創建・整備されており、大野寺の 磨崖仏造立にも興福寺の僧が関係していることから見て、興福寺と関係の 深い寺院であったと考えられている。 宇陀川をはさんだ対岸にある弥勒磨崖仏は、「石仏縁起」(万治2年・1659年) や「興福寺別当次第」によれば、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年 (1207年)から制作が開始され、同3年に後…

続きを読む

鳥取の若桜神社

若桜神社は因幡街道の宿場町でもある、若桜宿から鬼が城に向かう道を 少し進んだところ、集落の外れのようなところの山麓にありました。 広くはない参道が山に向かってあり、中ごろには、赤く塗られた随神門が 見えています。 (この参道も良く掃除がされており、気持ちの良い道が続いています) 神門の中には随神さんの像があるようですが、確認ができませんでした。 その門から、さらに長い石段が両側を木々に囲まれるように神社へと つづいていました。 この若桜神社では、鳥居をくぐり、参道をしばらく進んだあたり、二つ目の鳥居の 手前付近から、からかなり強いエネルギーの変化の様なものを感じられました。 そのエネルギーの変化は、特に正面の左側が強く感じられ、左手のしびれる ような感覚がありました。 神社に向かうにつれて、少し弱まるような、優しくなるような感覚の変化を感じながら 赤い神門を過ぎ、長い石段を上ると、そこには驚くほど素晴らしく、そして 神々しく感じられる空間とお社がありました。 山の中腹のような場所に、丁度良い広がりを持った空間全体を多くの大樹が 守っているように見えました。 丁度、一人の氏子さんが、境内地のお掃除をされていたので、いろいろお話 を聞かせていただくことができました。 今の境内には大きな杉の樹木が沢山あるのですが、樹木の枝が落ちてくると 神社の屋根を壊したりすることもあるようで、管理が大変だということです。 …

続きを読む

不動院岩屋堂

国道29号線の戸倉トンネルを抜けてしばらく車を走らせ、不動院岩屋堂 の案内を左折すると、川に向かっての山に大きな洞窟(岩屋)が二つあり、 一つには投入堂様式の不動院が、もう一つの岩屋には岩屋神社が ありました。 日本三大投入堂(鳥取県東伯郡 三徳山、大分県宇佐郡 龍岩寺、鳥取県 八頭郡 岩屋堂)の一つ。 昭和28年に国の重要文化財に指定されしてされている。 間口約7m、高さ13m、奥行き10mの天然岩窟の中に正面側面ともに3間、 前方が入母屋造りで、後方は切妻造りの屋根をもち、床下は三徳山と同じ 造りです。 この堂について集落に残る書上帳(しょじょうちょう)や言い伝えを総合すると 西暦806の大同元年に飛騨の巧が建てたもので、その後源頼朝が再興 したのが今の堂で、周りには「7堂のがらん」がありましたから、羽柴秀吉 が鳥取城攻めの際にこの付近を焼き払ったものの本尊が災いを避ける神様 であったため、焼け残ったと言われている。 本尊の不動明王は、弘法大師「空海」が33歳のときに彫刻された不動明王 と言われており、東京にある目黒不動と目赤不動とともに日本三大不動明王 と言われています。 毎年3月28日と7月28日には護摩法要が行われ、本尊の不動明王が一般 公開されるそうです。 投入堂では、三朝温泉近くの三徳山のものが有名ですが、あちらは危険な 山道を歩かないと行けないようなのですが、こちらの岩屋堂は集落の道路沿い …

続きを読む

鳥取方面の神社参拝ドライブ

21日の祝日に、いつものように神社好き、磐座大好きなKさんのお誘いで、 Kさんの友人のNさん共々、三人で鳥取方面の神社を参拝してきました。 Kさんは、年間100社以上の神社を参拝されているという方ですが、毎回 念入りに下調べをされており、普通なら中々お参りすることもない、村社、郷社 などにも注目されており、いつも頼りにしています。 今回も、300Km以上のロングドライブを、一人で運転されており、助手席の わたしは大変助かっております。  春の日差しが気持ちの良い陽気でしたが、姫路に帰る手前で渋滞になり 大変お疲れさまでした! ありがとうございます! この日の行程は、姫路で待ち合わせたのち、国道29号線で鳥取に入り、    不動院岩屋堂(八頭郡若桜町岩屋堂)    舂米(つくよね)神社(八頭郡若桜町)     若桜神社(八頭郡若桜町)     美幣奴(みてくら)神社(八頭郡八頭町)     賀茂神社(八頭郡八頭町)     霊石山(鳥取市河原町)     私都(きさいち)神社(八頭郡八頭町)     酒解(すが)神社     宇倍神社(因幡国一の宮・鳥取市国府) などでした。 これから何回かに分けて紹介させていただきます。

続きを読む

サムハラ神社

一昨年(平成25年9月5日)に参拝した折に求めたお守りのことが気になり、 本日(28年2月18日)大阪のサムハラ神社へお参りしてきました。 そして、古いお守りをお返しさせていただき、また新しいお守りをいただいて きました。 少しスッキリとした気分です! サムハラ神社は大阪西区立売堀二丁目にありますが、地下鉄の阿波座 から歩いて7~8分のところで、隣に機動隊のビルがあり、周りも商業ビル に囲まれたところです。 サムハラ神社について、詳しくは前回(2013・09・05)の記事 http://singon1koumyou.at.webry.info/201309/article_1.html に書いていますので参考にしていただければ有難いです。 今日の参拝では、ご近所の方でしょうか、自転車で来られて参拝し、そして 帰られるというご婦人の方を多く見かけました。 神社でお守りと一緒にいただいた書き物には次のように書かれています。 不思議の四文字 身を守る   世  界  平  和 サ  ム  ハ  ラ  神  社  御 祭 神 天 御 中 主 大 神 高 皇 産 霊 大 神 神 皇 産 霊 大 神 天地初発の時、高天原に成りませる神の御名は天御中主尊、高皇産霊尊、 神皇産霊尊の三柱の大神様で、宇宙に於ける森羅万象を御創りになった 造化の御三神であります。 サムハラ大神様とは、この…

続きを読む

初詣 生田神社

年末から、このお正月にかけて冬らしからぬ好天と暖かい日差しに 気持ちも明るくなるのを感じています。 三宮の生田神社も多くの参拝者で賑わっていました。 この生田神社では神様も生き生きとお働きのようで、今までも時々は そのエネルギーを感じることも有りましたが、今日も、境内に入る 木の鳥居を過ぎたあたりから微細ですが細かいエネルギーが本殿の方から 流れてきていたように感じました。 それは本殿に近づくにつれて強くなっているように思いました! 生田神社の主祭神      稚日女尊  天照大神さまの和魂(にぎみたま)あるいは妹神と伝えられ、稚く瑞瑞しい  日の女神  物を生み育て万物の成長を御加護する神様。 昨年のお働きに感謝しますとともに、今年のご活躍と益々のご発展、ご繁栄を 祈念しました!

続きを読む

元旦の日の出

平成28年の新年、 みなさま      明けましておめでとう御座います !!! 昨年 ご縁の有りました皆様ありがとうございます 本年も心を新たに新しいご縁が生まれますこと そしてより良き一年になりますことを祈っております             ” ありがとうございますX1000000 ” 干支絵馬(三石神社) KONOMI 季節のふろしき 1月 お正月小サイズ(50cm) / 綿100%風呂敷 お洗濯OK♪元旦/鏡餅/縁起もの/初日の出/迎春このみ 月ごとシリーズ【楽ギフ_包装選択】 【楽ギフ_のし宛書】西陣こもの屋 楽天市場店table{ border-collapse:collapse} p { line-height: 楽天市場 by

続きを読む

吉備国の内宮

岡山県南区浜野に鎮座します、内宮(ないくう)さんと親しみ込めて呼び習わ されています。 たまたまですが、近くの画廊兼喫茶店に用事が有り行きましたが、道に迷って 車を走らせている時に、この内宮さんに行き当たりました。 現在の境内地はさほど広くはないのですが、戦時中の空襲で焼けた影響も あるのでしょうか? ただ神門から本殿への境内地はこじんまりとしてはいますが、さわやかで 親しみやすさの中に気品を感じられるところでした。 ご由緒 当社の御祭神である天照大神は、かつて皇居の内にまつられていたが、 やがて第10代崇神天皇の御代に皇居と神居とが別けられることになり、 まず倭の笠縫邑に遷しまつられ、その後、丹波国(京都)、倭国(奈良)、 木国(和歌山)、吉備国(岡山)を経て再び倭国へ、そしてさらに伊賀国 (三重)、淡海国(滋賀)、美濃国(岐阜)、尾張国(愛知)を経て 第11代垂仁天皇の26年(紀元前4年)に伊勢国(三重)へ御遷幸になられ、 その地を永遠の宮地(現在の伊勢神宮)として鎮座された。  天照大御神が皇居を出られてからこの伊勢に至るまでの御遷幸経路 については、日本書紀や皇大神宮儀式帳、倭姫命世記などの古文書に 見られる。    中でも神道5部書の1つに数えられる倭姫命世記の中には 「垂仁天皇54年丁丑、吉備国名方浜宮に遷し4年斎奉る」と記されており、 これが当社「内宮」の創始となっている。 また…

続きを読む

淡路島の磐座パワースポット紀行 (四)

千山 千光寺は500M近い山上にあり、本堂に上がる石段前には洲本市を 一望できる展望舞台がありました。 千光寺 淡路島十三仏霊場の第一番札所 不動明王 先山は、イザナギノミコト、イザナミノミコトの二神が淡路島を創った際に 最初に出来たところから名づけられたということです。 その海抜は448メートル、洲本市市街地からの眺めは富士山にも似ており、 「淡路富士」とも呼ばれている。 参道には東西の茶店がありましたが、一方の茶店はすでに廃屋になっており ました。 そこから階段を登ってゆくと、右手に淡路十三仏霊場第一番の不動堂、左手 には庫裏があります。 さらに奥にある石段をさらにのぼってゆくと、眺望が開け、展望台が現れる。 ここからは洲本の町はもとより、柏原、諭鶴羽の山並みも見える。 天気がよければ四国の山まで見渡すことができるそうです。 さらに石段を登れば仁王門が現れ、右手に堂々とした三重塔正面には本尊 千手観音を安置した本堂があらわれる。 また仁王門を守る仁王像は、運慶の作であるともいわれている。 イノシシの狛犬?がありましたが、次のような縁起が知られています。 延喜元年(901年)、播州から逃げる大猪を追いかけて淡路島にやってきた猟師 が先山にたどりつき、そこで千手観音の胸に自分の放った矢がささっているのに 驚いたという。 以後、この猟師は仏門にはいりここに寺を建立したといわれている。 …

続きを読む

淡路島の磐座パワースポット紀行 (三)

岩上神社の神籠石の存在感を感じ、もっと多くの人が訪れると良いのに と思っていました。 磐座は、多くの人が驚き賛仰することで元気が出ますし、また人間へ そのパワーを別け与えてくれるように思います。 さて、次は山王神社へと向かいました。 大体、いつもそうなのですが、Kさんが細かくリサーチしてくれている ので、私はおまかせで連れて行ってもらうだけです。 そんなことで、どこに行くのにも、それ程先入観も無いので、初めて見、 参拝する神社や磐座に驚くことも多いものです。 今回の淡路では、千山千光寺の山中にありました、岩戸神社として 祀られています磐座としての大岩の迫力が最も印象に残りました。 その大岩については、後ほど書きますが、順序としては、岩上神社の 次には山王山という山の山頂にあります磐座を目指しました。 後で分かりましたが、山頂まで車で上がれるのですが、途中から山道 に入るところで車を降り、暗いコンクリートの道を山頂に向かって歩き ました。 この日は秋晴れの好天気でも有り、かなり暑い日差しの中を20分ばかり 歩き山頂に着きました。 山頂の神社(山王神社) 地元の人々の力で、最近建替えられたようで、立派な鬼瓦が光っていました。 この神社の横手から左側奥の木々の陰には多くの大小の岩々が見られ ました。 ただ主要な磐座と思われる、特異な形状の岩が神社の拝殿左手すぐのところに 見られます. …

続きを読む

淡路島の磐座(イワクラ)パワースポット紀行 (二)

淡路の磐座の続きです。 舟木の神座(岩上神社)をあとにして、一宮の伊弉諾神宮へ向かい ました。  伊弉諾神宮 何度来ても、空に抜けるような開放感あふれる空間とエネルギーを感じることが できるところです。 岩上神社 神籠(ひもろぎ)石   伊弉諾神宮から少し走った山中に、淡路巡礼の札所の観音堂と、   その向かいの石段上に岩上神社があり、さらに左手上方に神籠石が   迫力ある姿でドーンと直立しています。   前回来たときはギックリ腰で動きがママならないのに運転し、何度か迷い   ながら見つけましたが、今回はKさんのナビが上手く導いてくれすんなりと   着きました。   観音堂 ここは法輪山岩上寺と言い、淡路西国三十三ヶ所の第二十五番札所です。 聖観世音菩薩が安置されているようです。 このお堂を含めて神社も、巨石もかっては多くの参拝者が訪れていたと 思いますが、今は、パワースポットに興味ある人達が、少数訪れるというところ になっているようです。 パワーのある堂々と屹立し、淡路の土地を見守っているような巨石がもっと 注目されても良いのではと思います。    岩上神社 御祭神   布都魂神(ふつのみたまのかみ)         神社の創立は1541年に領主柳沢隼人佐藤原直孝が、大和国石上神宮    の分霊を迎え祭祀したのが始まりだといわれています。      社伝によると、本殿は…

続きを読む

淡路島の磐座(イワクラ)パワースポット紀行

シルバーウィークの休日の今日(21日)は、イワクラ大好きのKさんから お誘いをうけ、淡路島の主要な磐座を巡ってきました。 秋晴れの好天気に恵まれたことと、磐座の持つ大地のパワーを感じ つつ、各地で感謝の祈りを捧げてきました。 淡路のイワクラを目指して海岸沿いの道路から離れて、島の内部を 走ると、いたるところで黄金色にたわわに実った稲穂と、その畦には 真っ赤な彼岸花が沢山咲いているのが見られました。 まさに実りの秋の風情を淡路ではいたるところで楽しませてくれています。 Kさんが効率よく回れる順序を考えて連れていってくれましたので、非常に 順調にお参りすることができました。 では、この日に参拝しましたのは、次のようなところです! 淡路岩屋  岩屋神社 岩楠神社磐座           絵島 淡路舟木   舟木石神座 石上神社 淡路一の宮  いざなぎ神宮 淡路柳澤   岩上神社 神籠石 淡路高山甲  山王山山頂 山王神社磐座 淡路洲本市  洲本城内 八王子神社 淡路洲本市 千山千光寺  岩戸神社磐座 淡路榎列   自凝島神社                                以上です ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ では、一つ一つ巡っていきましょう。 …

続きを読む

高野山女人道を歩く(二)

おたすけ地蔵 おたすけ地蔵は一願地蔵とか一言地蔵といわれ、一つだけ願いを かなえてくれるそうです。 おたすけ地蔵さんの左の道から杉林に入り相の浦口から大滝口女人堂跡 の轆轤峠へと向かいますが、途中から木々が伐採されたような山肌を見て、 明るい山道を登っていきます。 少しきつい上り道ですが、振り返ると木々の上に少し根本大塔の姿が 望めます。 そしてまだまだ続く上り道 大滝口女人堂跡 あちこちで見かけた熊出没注意の看板 大滝口女人堂跡から歩いていくと、途中分岐があり、熊野街道小辺路へと つながる分岐がありました。 女人道は円通律寺へと下って行きます。 円通律寺付近 ここは真言宗の修行道場で四度加行などを学び行を身に付けるところ。 女人道は足元を水が流れるような暗い山道の上りを弥勒峠から五大尊堂 (女人堂)跡を経て奥の院方面へと歩いていきます。 最終的には奥の院前の駐車場があるところに出てきました。 昔の女人道はここから高野三山といわれる摩尼山・楊柳山・天軸山」と 奥の院御廟を取り巻く山道を巡るようですね。 かなり疲れた山歩きでしたが、昔日の女性たちの苦労を少しばかり 感じることが出来たように思います。 普段どの位の人が歩いていたのか 解りませんが、暗い山道を心細くなる思いを、お大師さんを慕う一念で 振りほどきながら歩き続けていたのではないでしょうか。 さらには夜間や宿等はど…

続きを読む

高野山女人道を歩く(一)

猛烈な暑さも少しばかりおさまりかけたかと思われる日差しの中 高野山に上がり、女人堂から嶽弁天、大門を経て、奥の院へと続く 女人道を歩いてきました。 明治になって高野山の山内が解放されるまでは、女人禁制の修行道場 として、女性は高野山内には入ることが出来なかったために、高野山の 周囲の山道からお大師さんへの祈りを捧げるということが行われていた そうです! 高野山まで登ってくる道中や山道の難儀を乗り越えて辿り着いても、まだ 周囲の山道から微かに見える堂宇に祈ることや、山道に数箇所設けられた 女人堂の仏像に祈りを捧げることしかできなかった女性たちの思いは どのようなものだったのでしょうか? 今日歩いた3時間ほどの山道は、峠越えの上り下りを何度か繰り返し、 しかもかなり遠回りしているような狭く薄暗い山道が続いています。 また、所々には『 最近この付近で熊が出没しています 注意!!』 という立て札を見ると、歩いている山道の周囲にも気を配りながらの ハイキングになりました。 そして800M付近とはいえ、この日は大変蒸し暑くて汗だくに成りながら歩き ました。 ・・・・・・・・高野山は明治五年まで女性が山内に入ることを禁じており、 そのために高野山への入り口には女人堂が設けられていた。 女性たちはそこを起点に女人道といわれる山道を通って金剛峰寺 の外側を巡り、奥の院の御廟近くを通りながら、山々の尾根伝いに 周回していたそうです。 女…

続きを読む

赤目四十八滝ハイキング

連日の猛暑続きの中、寝不足も続いていますが、昨日は一服の涼感を 求めて赤目の四十八滝巡りのハイキングに行ってきました。 午前八時過ぎに近鉄上本町で知人と待ち合わせて伊勢方面の電車 に乗り一時間少しかけて赤目口駅へ到着。 9時55分発のバスで 赤目滝まで約10分ほどでした。 赤目滝の入り口付近では、忍者装束のコスプレを楽しむ若い西洋人が 沢山居ましたが、私達はすぐにゲートで入場料400円を支払い、大サンショウ ウオを見てから谷川に沿って歩き出しました。 谷川をはさんで両側には山が迫っており、いたるところに落石注意 の看板が立てられていました。 川には大きな石がゴロゴロと沢山ころがっており、大昔から山肌を 落ちてきた石が今の景色を作っているように思いました。 大小の滝を見ながら川沿いの遊歩道を歩いていますと、風はありません でしたが、日陰が多いので割りと快適に歩いていけますが、所々に階段が つくられており、知らず知らずに登りながら上流に向かっていくように なつています。 そして川沿いの木々はもみじの木が多いようです。 秋には奇麗な紅葉が川面に映って見ごたえがあるのではないかと 思えるところです。 もちろん、次々に出てくる滝には名前がつけられており、滝つぼの水の 色が、周りの木々を映しているかのような深い青緑色に輝いています。 赤目滝の入り口から赤目出合茶屋まで5キロほど歩き、出合茶屋で 休憩しながら昼食。 少し休んだ…

続きを読む