門戸厄神 東光寺

西宮で、古くから知られた門戸厄神さんまでお参りに 行ってきました。 昔から、親の話には度々出てきており、私も、親の  厄参りなどの時に連れてこられたことがあったよう なのですが、全く記憶に残っていないので、 あらためて参拝してきました。 阪急電車の門戸厄神駅で下車。 この駅前の道は 昔の西国街道だということが分かり、少し驚きつつ、 案内看板に沿って門戸厄神と言われる東光寺を 目指して歩くこと十分ほどで到着。 厄神明王道(参道入口) 東光寺南門 中楼門 表門 矜羯羅童子 制多迦童子 矜羯羅童子・制多迦童子は、不動明王の眷属の八代童子の 中の二童子として最も知られています。   33段の女坂を上って中楼門から境内へ・・・ 楼門をくぐると正面に厄神堂、右手方に薬師堂。 左手方には愛染堂と大黒堂。  そして大師堂も見えています。 厄神堂 東光寺には厄除開運の厄神明王さまが祀られています。 嵯峨天皇が41才の御厄年の時、愛染明王と不動明王が 一体となり、あらゆる災厄を打ち払い、魔を退治する力を 夢の中で感じ悟られました。 弘法大師にこの夢をお示しになると、大師は自ら白檀木に 愛染明王と不動明王が一体となった明王像を3体、刻み 祭られました。 そのうち1体が東光寺に伝わる厄神明王さまです。 その御姿が厄除の護…

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甲山神呪寺

西宮の山手に、お椀を伏せたような美しい形の山が見えますが、 その特異な形から色々な伝説が伝えられています。 その伝説の一つが、190年ごろに、神功皇后が平和を祈願 して、頂上に金の兜を埋めたという話。 また、昔、頂上に松の木が二本生えており、兜の様に見えた ことから・・等々言われています。 標高は309Mほどですが、その形から非常に目立つ山です。 そして神呪寺は、この甲山の中腹200Mの高さにあり、お寺 の境内から眺める大阪平野から大阪湾にかけての解放感は 素晴らしく大変気持ちの良いところに造られています。 (曇り空ですが、梅田方面を見たところ) (境内から山門を経て、遠くに大阪湾が見えています) 甲山神呪寺 真言宗  天長八年(831)十月十八日、弘法大師空海を導師に迎えて 本堂を落慶。 淳和天皇の妃であられた眞名井御前は、この地で満三年間 の修行を経て、同日、弘法大師より剃髪を受けられて、如意尼 という僧名を授かった。 数年後には当地に淳和天皇が行幸され如意尼と相見られた と伝えられています。 本堂 御本尊   如意輪融通観世音菩薩 天長七年(830)、弘法大師が如意尼のお姿を写して桜の木に 彫られたという秘仏。 河内の観心寺、大和の室生寺の如意輪観音とともに、日本 三如意輪といわれる。  五月十八日に御開帳                  …

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北山公園から甲山神呪寺(1)

五月最終日は曇り空でしたが、久々に九州宮崎からの 友人と夙川上流の、北山公園方面のハイキングを楽しんで 来ました。 膝も心臓の調子も今一つで、少し躊躇するところがあった ハイキングですが、新緑の山道を歩き、神呪寺の 融通如意輪観音さまに参拝するころには、胸の痛みは 忘れていました。 膝の痛みは、歩くたびに絶えず気になるために、忘れる ことはありませんが、胸痛が気にならなくなったことは 収穫でした。 歩いたコースは、9時30分に阪急夙川駅で待ち合わせ。 苦楽園口まで電車。 苦楽園口から夙川左岸に沿って上流に歩き、銀水橋から 北山公園の山道に入る。 北山公園の大きな岩(イワクラも?)を楽しみながら 北山貯水池へ。 ここで12時30分頃になったので昼食。 北山公園から見た甲山 水分地蔵 お堂内は見えません 北山貯水池 その後、甲山神呪寺(かぶとやまかんのうじ)参拝。 参拝後、山門をくぐり抜けて、旧参道の坂道を下り 阪急甲陽園駅まで歩きました。(到着は2時40分ころ) 甲山神呪寺の記事は次回・・・・・・・つづく・・・・

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磐座と琴弾の滝

天石門別神社拝殿での不思議体験は、聞こえていた 子供たちの様な声が、かなりの大きさだったので、気に なりながら拝殿から本殿裏手に回り、階段下の旧社殿跡・ 磐座を経て、琴弾の滝に向かいました。 本殿から滝までは二~三分位でしょうか、本来は この滝が御神体でなかったのかと感じました。 磐座は古代に於ける祭場の跡として代表的(2,000年以上 経っているそうです。 薬師寺慎一氏の『祭祀から見た古代吉備』(吉備人出版) のなかに、宮司さんから寄せられた石積の話が載せられている。  「私の家は代々宮司職を世襲しており、私は第69代 めに当たります。 曾祖父中川寛(明治38年没)が残した記録によれば、250年 ほど前、平らな岩があり、人がそれに腰掛けて弁当を食べた ところ、神罰があった。 そこで岩の周りを石で囲んだのだそうです。 これが今の石積みで、中にある平らな石がイワクラです。 なお、御祭神の天手力男之命はこの岩に乗って飛んで 来られたと伝えられています。」  また、元禄4年(1691)成稿の美作国の地誌『作陽誌』 には、この石積は「猟師塚」で、天石門別神がこの地に 鎮座したときに案内した猟師の塚、あるいは国司の墓と 伝えられ、造られたのは近年のことなりと記されている。 池の跡 琴弾(ことびき)の滝 落差13m、幅5m 滝は2段からなり、上の滝を雄滝、下の滝を雌滝と呼ばれ…

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美作の天石門別神社

和気神社を後にして、剣道の46号線を走り、岡山国際 サーキット脇を過ぎて、古くから滝の宮と言われている 天石門別神社とその境内にあります琴弾の滝(ことびき) へ車を走らせました。 30分ほど走っていたと思うのですが、行きかう車も殆ど 出会わない山間の快適なドライブを楽しみました! 天石門別神社への道 この神社は数年前に偶然出会ったのですが、それから 二度ほど参拝させて頂いていますが、他に人がいた ことは無かったように思います。 付近にも全く家はなく、ダムと自然公園があるだけの ところです。 今回は、駐車場所に一台の軽自動車が停めてありました。 境内への入り口 神社の拝殿に上がる階段のところで、丸々と太った タヌキを見かけましたが、タヌキさんは石段下の暗がりに 隠れてしまいました。 天石門別神社拝殿 狛犬 狛犬は(阿形の狛犬、吽形の狛犬)作者・年代とも不詳である が、伝えられるところの渋谷国綱の寄進によるものと言われて いる。 約480年(室町時代)前のものである。 (※約10年ほど前、一基が盗まれたとのことで、今は 中国製の狛犬を飾っているそうです。) 特に16葉の菊花の紋章が神社の格式の高かったことを 有力に物語っている。 天石門別神社由緒  美作三宮 天石門別神社 天石門別神社 御鎮座以来御社名鎮座地の…

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極楽山浄土寺 小野市

仏師 快慶による国宝の阿弥陀三尊像参拝のため 小野市の淨谷町まで車を走らせました。 この浄土寺阿弥陀堂(国宝)の堂内真ん中に、高さが 5,3メートル(総丈8、3メートル)の阿弥陀如来と、 高さが3,7メートルの観音菩薩・勢至菩薩が脇侍として 立っておられます。 (堂内写真撮影禁止ですので、パンフレット等の写真です) この阿弥陀三尊は、背面となる西側が蔀戸になっており、 夕方になると西陽が差し込み堂内が荘厳な光景を現出 するそうです。 さらにこの西陽は床面に反射して屋根裏に当たり、その光が 御本尊に降り注ぎ赤く染めます。 また、直接入った光は、足元の雲座部分を霞ませて、巨大な 阿弥陀三尊が来迎する姿を光で演出する仕組みが造られて いるということです。 季節により、光の印象も異なるそうで、一度見てみたいですね! 阿弥陀堂(国宝) (北側)  (正面東側)  (南側) 水向石 八幡神社 拝殿 拝殿内から本堂(薬師堂)を見る 拝殿内から阿弥陀堂を見る 拝殿内に掲げられていた相撲番付  横綱 羽後 照国   越後 羽黒山 の名前が! 本殿   鐘楼 経蔵 開山堂(重源上人)(左手が本堂の薬師堂) 本堂(薬師堂)   本堂は…

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廣田神社

今朝のTVニュ―スで、神社の御朱印の転売が話題になって いました。 元値300円が1万円以上の値を付けて売られており、それが 売れているということにコメンテーターたちが「けしからん!」 という意見を述べていました。 ただ、私は”令和”所縁とかいう、福岡の坂本八幡宮では、 朱印を求める参拝客の対応に当たっていた高齢の氏子さんが 過労でダウンしたというニュースの方が気になりました。 ところで、今日は気持ちの良い快晴のなか、数年ぶりに西宮の 廣田神社に参拝して来ました。 この廣田神社は、毎年シーズン前になると、阪神タイガースの 監督・選手全員で優勝祈願に参拝しているところです。 私が、お詣りするときに、丁度”○○運輸”の新入社員の団体 参拝が行われていました。 廣田神社 由緒 御祭神      天照大御神之荒御魂 御脇殿     住吉大神     八幡大神     諏訪建御名方神     高皇産霊神 (神社公式HPには次のように書かれています・・・) 御主神の御名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 (つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)と 申し奉り、即ち伊勢の神宮の内宮に御鎮座の天照坐大神の 御荒御魂に坐しまし、神功皇后御征韓の時御霊威を示し給 える大神なり。 又御脇殿奉祀四社は御主神に尤も縁由深き神々にして …

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多井畑の猿田彦神社

多井畑厄神さんの裏手側の山蔭の様な、道路から数メートル 下がったところに、何時のころから祀られているのか、猿田彦 神社といわれるところが在ります。 地元の人からは山神(さんじ)さんと呼ばれているそうです。 多井畑厄神さんの裏手側?の参道入り口 厄神さんの裏手、道路を隔てたところに猿田彦神社が あります 鳥居をくぐって振り返ると厄神塚の丘が見えます  祭神は猿田彦大神(天狗さん、道開きの神様)、古くから村内  で山神講(さんじこう)としてお祀りして、毎年10月17日に例祭  を行っている。  厄神さんの北向かいに鎮座しています。 このお社では、大きなウバメガシの木が枝を広げています! 神戸市内では最大という事ですが、かなりの古木です。 根回り4.5メートル、枝の広がりが20メートルを越すそうで 樹皮にはヒトツバや地衣類が着生しています。 このウバメガシの木は、数メートルの塚の様なところに 根を張り、この木を祀る様に、小さなお社が作られています。 元来は、このウバメガシの木が神木としてあがめ祀られていた 依り代ではないかと思いますが、どうでしょうか? ただ、私自身の考えですが、ここから北へ数キロ離れた 白川の地に山伏山神社という、猿田彦さんを祀る神社があり、 鷲尾家の氏神さんと言われています。 この鷲尾家は、源平合戦の折に、源義経の道案内をした旧家 ですが、この鷲尾家の分家?が多井畑にあり、…

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龍伝説の残る石峯寺

随分長く苦しんだ咳も少し和らいだので、気分転換のため ドライブに出掛けました。 行先は神戸の淡河(おうご) 方面に決めて、石峯寺から南僧尾観音堂、北僧尾の 農村歌舞伎舞台などを見てきました。 神戸とは言え、丹生山系を越えた、神戸市北区淡河の地は 農村風景が広がり、長閑なところです。 この淡河の地を三木から三田方面に横切る様に走る県道 38号線は、途中、西宮や有馬方面へも続いています。 かって、羽柴秀吉が別所長治の三木城を攻めた際には、 戦闘で傷ついた兵士を、有馬温泉へ湯治に通わせたと いうような話が残る道路です。 秀吉の中国攻めの途中。 この辺りでは信長に反旗を 翻した三木の別所長治の三木城(三木の旱ころし)も そうですが、容赦ない秀吉軍のために、別所長治を 支援する丹生山の明要寺の僧兵、稚児など多くの 犠牲者を出しています。 この神戸市北区淡河神影の山裾に法道仙人や龍神伝説 が残る、石峯寺(しゃくぶじ)と言うお寺が有ります。 かなり以前、神戸十三仏のお参りで来たことが有りますが、 今回、またお参りして来ました。 現在は真言宗のお寺で、御本尊は地蔵菩薩 山号は岩嶺山   神戸十三仏霊場 薬師如来 県道沿いに石峯寺参道の碑 石峯寺山門 山門から本堂に向かって一直線に参道が伸びています。 かっては、この参道両脇に多くのお寺があったのではないかと 思われます。 …

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中山寺奥ノ院ハイキング

朝から雨模様でハイキングの中止も考えていましたが、 九州の宮崎から久し振りに来られた知人の思いが通じ、中山寺 に着いた時には雨が上がっていました。 その後は、雨に降られることもなく、順調に山道を登り、1時間 程かけて奥の院へお参りすることが出来ました。 歩いたコースとしては 阪急中山観音駅(10時30分)~中山寺~中山寺奥の院 (食事休憩)~中山~奥の院~阪急清荒神駅(15時30分) 全体的に足元の歩きにくい山道が続きますが、ゆるい登り道 で、大きなアップダウンもありません。 そして、都会の近くですが、深い山に入ったかのような山道 が続きますが、途中1丁毎に小さな観音さんとお大師さんの 石像が祀られてあり、参拝者を励ましてくれています。 中山寺から奥の院までは18丁の丁石がありました! 中山寺  初めてのお参りでしたが、時間がなくて、少し 見ただけで、奥の院へと向かいました。 お天気の悪い平日ということでしょうか?参拝者は 少ない様に見えますね 五百羅漢堂 奥の院へ向かう山道 夫婦岩 眺望 小さな水源? 丁度この場所まで来た時に、頭上に急な風が吹き、 パラパラパラという音がしました。 同行の人が、アラレ?と言いましたが、どんぐりの実が 沢山落ちてきていました! その時、直ぐに”自然霊のいたずらか”と!?思いましたが、 後で、奥の院の大悲水の説明…

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修法が原から布引滝(2)

中国(唐)より帰国した弘法大師が、目的を達成し、無事の 帰国を果たしたお礼参りに、この地に来たり、修法をした 処という事です。 修法が池 蛇ヶ谷 『その昔(神護慶雲年間)、和気清麻呂公が塔を建立するため、 再度山へ登っていたとき、道鏡の放った刺客に今にも殺され そうになった。 そのとき、どこからともなく大きな龍が現れて清麻呂公を 危機一髪のところで救出した。 清麻呂公は、それに感謝し、この山の頂上に大竜寺という名の 寺を建立したのである。』 大龍寺縁起には、次のように記されています 『神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅をうけた和気清麻呂公は、 摂津の国に寺院建立の霊地を求めて当地の山中まで来られた ときのことであります。 公を暗殺しようとしてつけ狙っていた僧道鏡の刺客は、忽然と 現われた一匹の大蛇に驚いて一目散に逃げ帰ってしまった。 危ないところを助けられた清麻呂公があたりを見まわしてみると、 大蛇が消えた跡に「聖如意輪観世音菩薩」が立っておられた のであります。 霊験を感じられた公は、早速この地に伽藍を建立され寺名を 「大龍寺」と名付けられました。  また延暦23年(804)、入唐される弘法大師は、旅の所願成就を 御本尊に祈願されました。 その甲斐があって唐の長安で青龍寺の恵果和尚より秘密の大法 を授けられ、大同元年(806)に無事帰国されたのであり…

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再度山大龍寺ハイキング(1)

秋晴れの暖かい日に恵まれ、テクテクと神戸の背山歩きを して来ました。 最近は膝の痛みがひどくなるばかりで、長距離や上り下りに 難儀することばかりなので、出来るだけ歩きやすいコースを 選んでいますが、それでも痛みだけはどうしようもありません。 今日も帰宅後は、膝の疼きと腰のだるさを感じています。 今日歩いたコースは JR元町駅から諏訪山西筋の大師道を歩いて大龍寺へ。 大龍寺の奥の院から再度山の山頂 再度山の山頂から下り、弘法大師修法の地から修法が池。 和気清麻呂公の伝説がある蛇が谷から市ケ原へ。 市ケ原から布引の滝を見て新神戸駅。 というコースでした。 今迄にも何度かブログ記事にしていますので、重複する 様な事になるかも知りませんが記録的に書いています。 大師道 大師道の町石(丁石)は20町(丁)から始まっていました 大龍寺 大龍寺略縁起 神護景雲二年、称徳天皇の勅をうけた和気清磨呂公が、 摂津の国に寺塔建立の霊地を求めて当地の山中まで 来られたときのことであります。 公を暗殺しようとしてつけ狙っていた僧道鏡の刺客は、 忽然と現われた一匹の大蛇に驚いて一目散に逃げ 帰ってしまいました。 危ないところを助けられた清磨呂公があたりを見まわして みると、大蛇が消えた跡に「聖如意輪観世音菩薩」が 立っておられたのであります。 霊験を感じられた公は、早速この地に伽藍…

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五色塚古墳

山と海の街神戸。その明石海峡を望む垂水の高台に 五色塚と呼ばれる大きな古墳があります。 JRの垂水駅を西に歩き商大筋に突き当たると、狭い 坂になった道筋を上って行った住宅街の中を歩きます。 すると、明石大橋や淡路島がマジかに見える広々と した空間に、五色塚古墳のどっしりとした後円部が 見えてきました。 垂水駅付近 子安地蔵尊 五色塚古墳 古墳の入り口は、更に西側にぐるりと回った処に ありましたが、その手前には小壺古墳と呼ばれる 墳丘が見られます。 五色塚(千壺)古墳 五色塚古墳は淡路島を望む台地の上に築かれ、全長194Mの 前方後円墳です。兵庫県下では最大の大きさです。 築造時期は4世紀の終わり頃だそうですが、多くの古墳同様 被葬者については分かっていないという事です。 古墳の縁取りのようにして置かれた円筒埴輪(模造)が 壮観ですが、形象埴輪が一つも見られないのが素朴さ でもありますね。 この様な大規模な土木工事には長い年月と、多くの農民? が働いたものと思いますが、被葬者のことなど含め、なにも 伝説の様な話が伝わっていないのが残念です。 前方部の葺石  黒く見える葺石は古代からのものですが、後円部に続く  白っぽい葺石は、復元時に新しい石を使っています。  古代の葺石は、淡路島より海を渡って運ばれたことが  分かっています。 前方部からの景色 すぐ下…

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日本のピラミッド葦嶽山

こちらも、磐座繋がりで、広島県の葦嶽山の記事の再掲 になります。 この日本のピラミッドとして最初に発見された山になりますが、 昔から地元では色々なうわさ話が飛び交い、神武天皇の宝が 隠されているなどの話が大きくなり、磐座の遺跡も破壊 されたりしたところです。 今から2~30年前には一時ブームになり、大陸書房や オカルト雑誌「ムー」などでも度々取り上げられたことが有り ましたが、最近は余り聞かなくなりました。 葦嶽山、皆神山、黒又山、尖山・・それに三輪山、等々 沢山見つかっているそうです。 昭和の初め頃、酒井勝軍が竹内文書などの研究から 日本のピラミッドとしてこの葦嶽山を喧伝し、大変有名になった ところです。 ///////////////////////////////////// 知人のお誘いで広島県庄原市にあります葦嶽山とその 近くの神社などをお参りすることができました。 葦嶽山は日本のピラミッドとして酒井勝軍(さかいかつとき)が 見出した古代祭祀遺跡ということでオカルト好きにはたまらない 響きを持つ山名です。 この山の発見からあちこちの日本のピラミッドと言われる場所 が見つけられ、さらには秋田県の戸来村(へらいむら)のような キリストと関連付けられた場所や、竹内文書のような古史古伝 史料が日の目を見ることになりました。 こちらが参考になると思います http://ikuno.lolipop.jp/pir…

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六甲山と磐座

今年は大きな台風が次々と日本列島にやって来ています。 風水害や山崩れで大きな被害が起きていますが、自然の 中で住まわせて貰っているという感を強く再認識しています。 そんな中で、古代の人々が自然に込めた思いを再確認する 意味で、今から8年程前の記事を再掲して見たいと思いました。 以下(再掲)・・・・・・・・・・・ 今日、西宮夙川公民館で『六甲山の磐座』 (縄文の人と神とその斎場)という講演を聞きにいきました。 講演はNPO古代遺跡研究所の中島和子(なかじまよりこ)さん という方でしたが、車いすを利用されていましたが昭和3年の お生まれとは思えないほど元気で非常に有益な話を聞かせて いただくことができました。 内容は古事記の言霊の話から三貴神、人、神、祈りといった ことから人間としての生き方の基本のような事まで示唆に 富んだ良い話になんども頷いていました。 少し話された内容を要約しますと ◎ 古事記の原典は「天津古世見」(あまつこよみ)というもの    があった。   漢文の古事記では日本語の言霊の真意は書き尽くせない。  (例) 天地初発之時 於高天原 成神名 天之御中主神・・・   と漢文で書かれているが、日本語の言霊では 「あめつち はじめてひらけしとき たかまのはらに なれる かみのなは あめのみなかぬしのかみ・・・」   つまり、漢文の「天地」は「てんち」てんとちという事…

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枚岡神社・八代龍王社・石切神社

今から10年少し前になりますが、ハイキングを兼ねての 神社参拝によく行きました。 そんな頃の記事の一つですが,この枚岡神社を起点にして 暗峠越えで奈良方面に歩いたり、八代龍王社を経て 瓢箪山駅の方に歩いたりと、懐かしいところです・・・・・・ 近鉄奈良線枚岡駅~枚岡神社~枚岡公園~八代竜王神感寺 ~鳴川峠~千光寺~元山上口駅~石切神社奥の院(上の社) ~石切神社    と歩いてきました。 駅すぐに河内国一の宮の枚岡神社があります。 こちらのお宮は元春日と呼ばれ、奈良の春日大社はコチラの 神様がご分祀されています。 ご祭神   第一殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)   第二殿 比賣御神 (ひめみかみ)   第三殿 武甕槌命 (たけみかづちのみこと)   第四殿 経津主命 (ふつぬしのみこと) 天児屋根命は中臣氏の祖神。そして藤原氏の祖神。 武甕槌命は鹿島の神 経津主命は香取の神 共に藤原氏の春日大社に勧請。 同時に枚岡神社にも 勧請。 枚岡神社の横手から枚岡梅林を抜け、神津嶽を目指します。 神津嶽 社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)、 神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命が、天皇の命で 神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのに始まると 伝えられる。 神津岳あるいは神津嶽)の頂が平らな丘であったことから 「平岡(枚岡)」の社名が生まれたという。 …

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夢野の氷室神社

今日、八月の十五日、普段は会えない友人と会い、ぶらりと バスに乗り、神戸は兵庫区の山手のパワースポットと言われる、 氷室神社付近を回って来ました。 この氷室神社付近は夢野の地と言われ、古くは仁徳天皇から、 平清盛、楠木正成などとも所縁のある所です。 また、何時のころからか、恋愛成就に絶大な御利益が期待 出来るパワースポットとして若い男女から人気のある神社 になっています。 私が参拝した時には、誰も他に参拝者が居ませんでしたが、 恋愛成就を願う絵馬や、愛の手紙に愛のポストと言った アイテムが、他の神社との違いを際立てていました。 夢野の氷室神社へは、神戸駅前のバスターミナルからバスに 乗り、夢野3丁目で下車。  バス停から北へ5分程歩いた 山裾に鎮座していました。 氷室神社由緒 創立年月日は詳らかでは無いが、神社の鎮座する夢野の 地は元来、禁野といい、昔、高責な方の墓所、皇室の 御料地としての殺生禁断の地でした。 仲哀天皇の時代(西暦200年頃)に、香坂皇子、忍熊皇子 は、ご自分が位に継ぐことをお考えになり、この地で狩りを 行って占いました。 しかし1日中何も捕まえる事が出来ず、香坂皇子は猪に 襲われて亡くなってしまいました。 そしてこの地に墳墓が築かれました。 仁徳天皇の時代(西暦374年)に、兄の額田大中彦皇子が この地に狩りに来られた時に氷室があるのを見付けられ…

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高野山 善女龍王社

高野山壇上伽藍の中門近くの蓮池の中に、善女龍王を祀る お社があります。 善女龍王 八大竜王の一尊、沙掲羅龍王(しゃかつらりゅうおう)の三女で 神泉苑、金剛峯寺などで鎮守社に祀られている。 醍醐寺に鎮守として祀られる「清瀧権現」と同一視される他、 同じ沙掲羅龍王の第三王女とされる方位神「歳徳神」とも 関係が深い(蘇民将来伝説では牛頭天王が竜宮まで赴き、 娑竭羅龍王の娘「婆梨妻女」を娶る話となっている。 中世以降は牛頭天王とスサノオと陰陽道の方位神が習合・ 同一視され、結果的に牛頭天王の后「婆梨妻女」=歳徳神 =櫛稲田姫とみなされる事もあった(異説もあり))。 神泉苑では善女龍王社のすぐそばの恵方社に歳徳神が 祀られている。 伝承 824年(天長元年)、時の帝、淳和天皇は長引く干ばつに対して 興福寺(西寺とも)の守敏と東寺の空海に対して祈雨の修法を 命じた。 守敏が7日間にわたって修法を行うも効果少なく、次に空海が 当時大内裏に南接していた神泉苑にて修法を行うが1滴の 降雨もない。 調べると空海の名声を妬む守敏により国中の龍神が瓶に 閉じ込められていた。 しかしただ1体、善女龍王だけは守敏の手から逃れていたので 天竺の無熱池(むねっち)から呼び寄せて国中に大雨を降らせ たという。   (以上 ウイキペディアより引用) この高野山の蓮池と善女龍王社については さらに時代は下って江戸時代、…

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高野山壇上伽藍

高野山の奥の院から歩き壇上伽藍へと向かいます。 途中、成福院というお寺の前に、大変大人しい白い犬が 居ました。 壇上伽藍に向かう道の新緑が爽やかです 東塔、大会堂、根本大塔が見えています 三昧堂  928年金剛峯寺座主、済高大僧正の創建。  堂前には西行法師が植えた「西行桜」がある  現在の建物は1816年の再建 大会堂、愛染堂、根本大塔 不動堂  国宝 1198年一心谷に行勝上人が創建 根本大塔  壇上伽藍の中心 816年高野山開創の頃より建造に着手。  大師と真然の二代を費やして完成。  現在の塔は1937年再建 高さ50M 四囲30M  中央に大日如来、四方に金剛界四仏 三鈷の松、根本大塔、御影堂、 西塔  887年、光孝天皇の勅命により、四世世真僧正が、大師の  残された「御図記」に従って大塔に続いて建立。  現在の塔は1834年の再建。  塔前の石灯籠は華岡青洲の寄進。 准胝堂と孔雀堂 山王院 御 社(みやしろ)  819年、高野山開創にあたり、結界守護のため、丹生・  高野(狩場)の両明神をこの地に勧請した。 金堂  高野山一山の総本堂。  本尊と両部曼荼羅を修法する3壇を持つ密教の大堂。  大師私願の堂として造営。完成後は嵯峨天皇御願の堂  とされた。  両部曼荼羅は平清盛が、自らの額を割った血で、中尊を…

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夢を見て高野山へ

6月4日の早朝、夢の中でお大師さんへお礼しなければと いうことで、須磨寺の管長さんに日取りの段取りをお願い している・・・・と言う様な、かなりハッキリした夢を見ました。 勿論、この様な夢の内容に思い当たることがあり、こちらの 都合でお大師さんの予定?を作って頂く非礼を思いながら 眼を覚まし、急いで支度をして高野山行きを決めました。 それが朝5時ごろの事で、6時には電車に乗り、高野山の 奥の院に着きましたのが10時過ぎでした。 ところで、何故、この様な夢を見たかと振り返りますと、 今年のお正月から2月末まで、私の家内が心不全で緊急入院、 そして八時間に及ぶ手術を経て、無事退院という事があり、 その時に、須磨寺の管長さんの護摩祈祷で、手術の成功と 病気平癒をお願いしました。(勿論、大勢の信者さんの中の 一人ですが) この護摩祈祷の御蔭で、手術の前日になり、それまでの 検査では分からなかった心臓の他の部位の不具合が 見つかり、緊急に手術方法の見直しが行われるという事が ありました。(心臓を止めずに出来る手術から、人工心肺を 使い、心臓を止めなければ行けない手術を行うことに) もし、この事が分からないままに手術を終えていれば、すぐに 不具合で再手術になるか、悪くすると最悪の事態も考えられる ような状態でした。 このようなこと(詳細は省いていますが・・)があり、須磨寺へは お礼をしましたが、お大師さんへのお礼までは気がつかず、 …

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内宮参拝

猿田彦神社の参拝のあと、再びバスに乗り内宮に向かい ました。 内宮にはお昼過ぎに着きましたので、伊勢うどんで少し お腹を満たして宇治橋を渡りました。 この日は、心なしか、いつもより参拝者が少ない様に感じ ましたが、何より外人観光客の姿を殆ど見かけなかったことが 印象に残りました。 五十鈴川 滝祭宮  滝祭大神 五十鈴川守護の水の神。         古来から社殿のない石神としてまつられ、別宮に         準じて祭典が奉仕される。 風日祈宮橋 風日祈宮橋の上で暫したたずみ、五十鈴川の爽やかな 流れを感じていますと、足元から心身が洗われるような 気持ちがし、大変すっきりしました。 風日祈宮  ご祭神は、伊弉諾尊の御子神で、特に風雨を司る神、  級長津彦命、級長戸辺命。 雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より 正宮に準じて丁重にお祭りされています。   神楽殿 四至神(みやのめぐりのかみ)   内宮神域の守り神、四至とは神域の四方を意味します。   社殿や御垣はなく、石畳の上に祀られます。   近年、手をかざす方がいますが、神様をお祀りする場所です ので「二拝、二拍手、一拝」の作法でお参りください。・・・・と 案内されています。   ここが、内宮のパワースポットとしてのうわさから、上記の様 な案内になったのだ…

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猿田彦神社・佐瑠女神社

外宮参拝を済ませ、内宮行のバスに乗り、猿田彦神社で 下車 猿田彦神社由緒  天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に 瓊瓊杵尊を御案内した後、天宇受賣命と御一緒に本拠地である 「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を 始め全国の開拓にあたられました。 御神徳の高いこの大神は、佐田大神、千勝大神、白鬚大神、 道祖神、塞ノ神、庚申さま、等として津々浦々にお祀りされて います。  そして、神宮第一の古典『皇大神宮儀式帳』等にあるように、 宇治土公宮司家の祖先で猿田彦大神の裔である大田命が、 倭姫命の御巡幸に際して、猿田彦大神が聖地として開拓された 五十鈴の川上にある宇遅(宇治)の地をお勧めし、そこに 皇大神宮(内宮)が造営されました。 そのため宇治土公家はその後、神宮において代々「玉串大内人 (たまぐしおおうちんど)」という特別な職に任ぜられ、式年遷宮で 心御柱と御船代を造り奉るなど、重要な役割を果たしてきました。  当社は猿田彦大神の子孫である宇治土公家が代々宮司を務める 神社です 境内 方位石  昔の神殿跡の印で“十干十二支で方位が刻まれています。 猿田彦神社で最もパワーが集中するポイントです。 八角は方位を意味し、猿田彦大神の方位除の御神徳を仰ぐもの です。 たから石(舟形石)  この石には、蛇が乗っている様に見える為、縁起が良いと …

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伊勢神宮参拝・月夜見宮・外宮

昨年は、もう少し早く、桜が咲いている時期に伊勢神宮の 参拝をさせて頂きましたが、今年は少し汗ばむほどの初夏の 日差しの中の土曜日でしたが、人出も思ったほどでなくて、 ゆっくりとお参りすることができました。 また、先日の京都では、外人観光客の余りの多さに、日本 じゃないというぐらいの違和感がありましたが、この伊勢では、 殆ど外人観光客の姿は見かけませんでした。 毎回、同じ様な写真での紹介になりますが、伊勢の空気感を 楽しんでいただければと思います。 伊勢市駅に着いたのは、午前9時30分ごろだったと思います が、いつものように、外宮の別宮、月夜見宮から神路道を歩いて 外宮へと向かいました。 月夜見宮   御祭神    月夜見尊    月夜見尊荒魂   月夜見尊は、天照大御神の弟君ですが、内宮の月読宮が   男神で、こちらの月夜見尊は女神ともいう人がいるそうです。   勿論、それぞれの人の感覚でモノを言っているので、その   反対の感じを持つ人もいます。   最近では、天照大御神が男神だという話もよく聞きますが、   どうでしょう? 色々な見方があると言うことですね! 高河原宮   御祭神    不明 (月夜見宮の境内を囲む堀は、宮川の名残と    いうことで、その川の段丘、高くなったところを高河原と    言い、洪水などから守護する神様と思われる) 境内で存在感のある古木    …

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京都 日向大神宮

先日、北海道からの知人と共に、ホテルの部屋で古代文字 の勉強、 カタカムナのウタヒ、イロハ祝詞、ひふみ祝詞、 大祓祝詞などを声を出して響かせるような練習をして気持ち の良い時間を過ごしました。 その後、どこかいい処がないかという事で、タクシーに乗り 蹴上近くにあります”日向大神宮”へと向かいました。 久し振りの京都でしたが、外人観光客の多さには驚きました。 本当に半端ない多さです!!! タクシーの運転手さんと話していても、ここ数年の変化には 驚いているという事でした。 京都のお伊勢さんと言われています”日向(ひむかい)大神宮” ですが、疎水前で観光客に色々話をされていた、地元の人の お話では、昔は多くの参拝客で賑わったという事です。 現在は、京都の他の神社と比べても、参拝に来られる人の数は 少ない様に思いました。 私達が居た、1時間ほどの間でも、ほんの十数人の参拝者しか 来られず、静かにお参りすることが出来ました。 それでも、南米系の数人の男女が桜の写真を撮ったりしていました。 日向大神宮由緒 当神宮は、第23代顕宗天皇の御代に筑紫日向の高千穂の峯 の神蹟を移して創建されたと伝えられています。 天智天皇は、圭田をご寄進され、鎮座の山を日御山と名づけ給い、 清和天皇は、日向宮の勅願を賜い、醍醐天皇は、延喜の制で 宮幣社に列し給いました。 建武の戦乱中、新田義貞公は、戦勝を祈願され良馬と太刀一身 を奉納…

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神戸関帝廟

神戸の中山手通7丁目に、関羽を祀り、華僑の信仰を集め ている御廟があります。 関羽は、勿論、三国志に出て来る英雄豪傑で、中国では 古くから多くの人々、特に信義を大事にする、商人の信仰が あついようです。 神戸の街並みのなか、中国色の強い建物、色調、神様、 が強い個性を醸し出しているところです。 この年末、どの様な雰囲気なのかと思い訪れましたが、特に 何か、お正月らしい飾りつけもなく、そしてお参りされている人も なく、ごくごく普段と別段に変わりのない年の暮れ・・・という ことで、少し拍子抜けしました。 それもそのはず、中国では、旧暦で行事が行われるようで、 旧暦の一月一日は、春節祭としての行事が行われている そうです。 登龍門 本堂 本堂の天井 この関帝廟の本堂には、関聖帝君像・聖観音像・天后聖母像 を中心にお祀らされてあります。 天后聖母は、海の神様で、俗に「媽祖」と言われてます。 この聖母の両横には、千里眼と順風耳(地獄耳)の従者が 控え、これらは、現代の無線通信機器やレーダーの意味合いが あると言えるようです。 神戸には、南京町もあり、少し離れてはいますが、歩けない 距離ではないので、神戸の楽しみとして訪れるのに面白い ところではないでしょうか!? 台湾高雄、意誠堂関帝廟のお守り!商売繁盛のお守りです。/エスニック/アジアン雑貨(DM便OK)香りの専門店 HAPPY H…

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天日鉾命

出石神社のご祭神であります天日槍命は、新羅国の「王子」と 伝えられています。 新羅から北九州に入り、瀬戸内を通って淀川を遡り、さらに宇治川から 近江。 その後、若狭を経て但馬への遍歴の旅を重ねた後、但馬で定住したと いうことです。 また、新たな製鉄技術を日本にもたらしたと云われています。 日本書紀のなかでは、垂仁天皇3年春3月 『羽太(はふと)の玉、足高(あしだか)の玉、鵜鹿鹿(うかか) の赤玉の石、 出石の小刀、出石の鉾、日鏡、熊の神籬』の七種の宝物を持参したと 記されてあります。 『播磨国風土記』では神代の渡来神・天日槍命として登場し、伊和大神 (播磨国一の宮伊和神社)と土地を奪い合った話が書かれています。 争いの結末は天日槍が但馬出石に退くことになったとしています。 鉄器文化を象徴する矛を宗教祭儀の呪具として共有する集団が古代に 半島より渡来し、その集団に所縁を示す神社としては、兵主神社や 穴師神社なども関連があるようです。 兵庫の伝説紀行による、出石と天日鉾命の話は次のように書かれて います(以下引用)  アメノヒボコは但馬国を得た後、豊岡(とよおか)周辺を中心とした 円山川流域を開拓したらしい。 そして亡くなった後は、出石神社の祭神として祭られることになった。 但馬一宮の出石神社は、出石町宮内にある。この場所は出石町の 中心部よりも少し北にあたり、此隅山からのびる尾根…

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出石神社

出石城の城下町として、そして出石そばの店、お土産屋さんなどの お店と観光客で賑やかな所から北の方に車で数分ほど走ると、 田畑が多くなります。 そんな田畑の山裾に、但馬一の宮の出石神社が静かに、そして 厳かな雰囲気をたたえて佇んでいました。 今日は、姫路からあちこちと寄り道をして来たので、この出石神社に 着くころには、日も沈みかけという時間になっており、その為なのか お参りされている人影も一人、二人と少なく、大きな木々に囲まれた 拾い境内はひっそりと静まり返っていました。 夕暮れ前の神社は古代の空気感が色濃く出て来るようで、境内内は 少し青味がかっている様に見えました。 但馬一の宮 出石神社 拝殿 本殿 御祭神   天日鉾命(あめのひぼこのみこと)      伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ、出石八前大神)

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村岡町の秘境滝

案内板もなければ、地元の人も知らないという御滝という滝が兵庫県の 村岡町にあります。 これも、姫路のKさんのマル秘情報で瀬織津姫さんがお祀りされている ということで、山中の狭い道に車を乗り入れて行きました。 そんな人もいないようなところにも2~3軒の家があり、Kさんが滝の 場所を尋ねると、その滝をお祀りされている家だとかで道を確認。 しかしながら、どんどん狭い山道を登って行きましたが、それらしいところが なく、仕方なく車を停め、歩いて更に奥に入って行くと、川を越えた奥にも 家がありました。   たまたまその家では、作業中の三人の女性がおられ、住まなくなった家を 片付けているということでした。 それにしても、村から離れた山中で、戦後から住まれていたようで、夜など 恐らく真っ暗になる山道の奥で、渓流の音だけが響いている様なところで、 今の我々からは中々想像のつかない苦労をされたのではないかと 勝手に思ってしまいましたが、その中の一人の案内で、御滝の 入口の道まで案内していただきました。 偶々おられた地元の方の、ご親切で何とか道が分かりましたが、その 分岐からは、所々、水の流れる道を注意し、更に獣にも注意を払い ながら10分程歩くと、谷の突き当りに目指す御滝が見えて来ました。 手前の滝   御滝は右手奥にありました 御滝

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御形神社

3日の文化の日は、快晴の行楽日和でした。 久し振りに姫路のKさんのお誘いで、宍粟郡から出石方面の神社へ 参拝して来ました。 Kさんは、ここ1~2年の間に、日本国中の一の宮参拝を志し、その 一の宮参拝もあと数社を残すのみだと言う方です! 全国の一の宮へは、車や飛行機で出掛けておられるようですが、 中々真似のできることではなく驚かされる事が多いです。 今回の目的地も、余り人が訪れない場所の、隠れたパワースポット というようなところで、神社の爽やかな空気感を、久し振りに満喫 して来ました。 姫路で待ち合わせをし、最初にお参りさせて頂いたのは、宍粟郡一宮町 に古くから鎮座している、御形(みかた)神社でした。 神社由緒 当社のご祭神は、またの御名を大国主神とも申し上げます。 この神様が当地方を治められていた頃、その途中に天日槍神が渡来して、 国争いが起こり、二神は黒葛を以て治める国を定めました。 葦原志許男神は、但馬の気多郡、養父郡、三條(三方)といひ伝へ ます。 又、天日槍神は但馬国に鎮まりました。 (出石神社)  やがて葦原志許男神は事を了へられてこの地を去られる に当り、愛用された御杖を形見として、その山頂に刺し植えられ、 行在の標とされました。 以て、当社の社名「御形」は、形見代・御形代より起こりました。  その刺し植えられた所に社殿を建ててお祀り申しましたのが当社の 創祀でありま…

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浅山不動尊と浅山一伝斎

独鈷の滝から五台山への登山道を少し急な石段を登ると右手に護摩堂の 建物と広場、そして岩窟と覆い屋が見えてきます。 この岩窟の中には、弘法大師空海が彫り上げたと言われる不動明王が お祀りされています。   この岩窟は、高さ10メートル、幅5メートル、奥行き7メートル   あるそうです 私もお堂の奥を覗きましたが、暗くてお不動さんの姿は分かりませんでした。   カメラのフラッシュをたくのもはばかれる気がしましたので写真は   撮っていません。(関心のある方は、岩瀧寺HPの写真集の中で   見ることが出来ます) 役 行者 浅山不動尊(この岩屋の奥にお祀りされています) 浅山一伝流不動剣と岩瀧寺  県道・香良口に「浅山一伝流兵法根元地」と刻んだ石碑が建っています。  氷上郡市島勅使の旧家・稲上氏の建立した石碑です。  浅山一伝斎は、上州碓氷の郷士。 或は伊賀出身だとも云われていますが  定かではありません。    浅山一伝流と云うのは、柔剣・捕手棒・手裏剣などを総合した現在の逮捕術  のようなもので全国的に広く普及しました。  門下は三千人とも五千人とも云われるが、著名な門人には、生涯一度も  喧嘩をしなかったと云う上州の侠客・大前田英五郎がいます。  浅山一伝斎の流派は、北は仙台藩から南は薩摩藩まで全国二十余藩にて  伝承され、現在の警視庁流の中にも取り入れられているそうです。 …

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