加東市 播磨安国寺

安国寺という名前のお寺は全国にあるそうですが、その 理由があります。 全てがそうなのかどうか、分かりませんが、【安国寺】は、 南北朝時代前後の多くの戦乱の中でで亡くなった 兵士など戦死者の供養や全国安穏祈願を願った 夢窓国師が足利尊氏・直義兄弟に勧めて全国に 造られたお寺ということです。 聖武天皇発願の、全国の国分寺・国分尼寺の想いは 鎮護国家・国家安穏でしたが、慰霊・供養と平穏を 願った夢窓国師の想いの違いはありますが足利尊氏達 も、その想いを受け、全国一国一寺の建立を願い建て られています。 その為○○国安国寺ということで区別しています。 ですから、ここ加東市の安国寺は、播磨安国寺とよばれて います。 【播磨安国寺】 臨済宗妙心寺派 東渓山安国寺 開山  固山一鞏禅師 本尊  十一面観世音 元々は東条川を見下ろす新定の高台にあったそうですが、 度重なる戦乱などの火災を受け、現在は新定の麓に移転。 建物も明治時代の再建。 【嘉吉の乱と播磨安国寺 義教首塚】 嘉吉元年(1441)6月24日播磨、備前、美作3国の守護 赤松満祐は京都の私邸(京都西洞院二条)で室町幕府 6代将軍足利義教公を殺害します。(嘉吉の乱) さらに将軍の首級を奉じて播州河合(小野市)の堀殿城 に帰ります。 そこから足利ゆかりの安国寺で盛大な法要を営んで葬った と伝えられています。 …

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僧尾の観音堂・農村歌舞伎舞台

神戸市北区淡河町南僧尾という稲田が拡がり、住宅もまばらな 丘陵地帯に古くからのお堂があります。 石峯寺の参拝帰りに寄ってみました。 この観音堂のあることは知っていましたが、今まで何度か 探して分からなかったところなので、前もって地図を確認し ようやく行き当たりました。 南僧尾の観音堂 室町時代後期 様式 和様、桁行三間、梁間四間、茅葺入母屋造 概要 承和7年(840)創建と伝える恒例山新善寺の元本堂です。 新善寺は天正6年(1578)兵火で焼失しましたが、本堂は焼失を 免れ、豊臣秀吉の命で修復されました。 以後村の観音堂として守られ、仏壇内で発見された「堂頭日記」は、 延徳元年(1489)~天正12年(1584)の村人の生活記録として 貴重です。 境内の地蔵堂は、厨子と共に17世紀後期の建立と推定、 「鶴沢大助太夫之碑」は、当時の浄瑠璃の流行をしのばせます。 観音堂は、四面に庇を設け、三面は縁、背面の庇は後陣に取り 込みます。 柱は円柱、隅柱上にだけ舟肘木を備え、正面三間と両側面前方 第一間を扉構えとし、その他の柱間は板壁、堂内は前3間、後2間 に二分します。   和様の、全体に簡素な建物です。 造立は「堂頭日記」冒頭の御頭行事の記載から、堂の建立は 延徳元年を下らぬことが察せられますが、特定できていません。 須弥壇は禅宗様、厨子は方一間、和様を基調とした折衷様で、 観…

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よかたん方面ドライブ

ずいぶんと春めいてきた一日を気分転換のドライブを楽しんで 来ました。 特に目的もなく車を走らせましたが、国道428号線で岩谷峠 を越えて淡河(おうご)の道の駅から吉川の中国道ICちかく にある温泉施設、『よかたん』まで走り、少し野菜などを買って 帰って来ました。 淡河道の駅にあります、淡河城 この近くの旧街道(湯の山街道)には本陣跡なども見られますが、 かって、羽柴秀吉が織田信長の命を受けての中国攻めの途中、 三木城の別所氏を攻めた時には、負傷した兵士を有馬温泉へ この街道を使って送り、湯治に使ったという話が残っています。 この、淡河道の駅では、十割そばがいただけるのですが、今回は もう少し先に在ります手打ちそばのお店に入りました そこは、三木市吉川町渡瀬にあります石臼挽き手打ちそばの店 「稜 庵」(りょうあん)というところで、美味しい手打ちそばを 楽しみました。 前回に来た時には、駐車場がいっぱいで、食べるのをあきらめた ことがあり、今回は時間的に早い目にやって来ましので 一番乗りでした。 まずは、そばがき、から   ふわふわ、あたたかく、あっさりとした甘みも有りました メインは、天ざるそばをいただき、それに、牛アキレスの旨煮を 付けました   お蕎麦は細切りで、食べやすいお蕎麦です。   牛のアキレス旨煮はコラーゲンたっぷりですが、味付けも   …

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丹波 岩瀧寺

先週に梅雨入りが宣言されて以降、今のところ関西では清々しい初夏の 青空が広がる、格別良い天気が続いています。 もっとも、沖縄では猛烈な雨が降ったようで、これからの天候は分かりませんが、 この好天気を楽しみつつ、丹波方面へドライブして来ました。 特に目的はなかったのですが、十数年前に登った氷上の五台山の麓まで 車を走らせ、その登山道の登り口にある、岩瀧寺、独鈷の滝そして浅山不動尊 を写真に納めました。 この浅山不動尊は江戸時代の剣客で、浅山一伝流開祖の浅山一伝斎が その剣技を磨き、神恩を得て開眼したところだそうです。 また、帰宅後に、この独鈷の滝と岩瀧寺の話を調べていると、大正時代の住職 が、この滝を活用し、精神疾患のある病人の保養治療を行っていたということ が分かりました! 滝に打たれて、精神疾患が治る・・・という治験がかなり見られたということで すが、もちろん現在は行われていませんが、その精神は、このお寺のすぐ近く に作られた香良病院に引き継がれているようです。 ・・・順を追って説明していきたいと思います。 まず、国道175号線を福知山方面に走り。途中稲継交差点で県道7号線に 進路を変えて走っていると、独鈷の滝の案内看板が見えてきます。 香良病院を過ぎてすぐの山中右手に岩瀧寺がひつそりと、人の気配も全く 感じさせない様子で佇んでいます。 無動山(不動山) 岩瀧寺(がんりゅうじ)   …

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法華山 一乗寺の桜

加西市の名刹として、また西国二十六番の札所として知られています、 法華山一乗寺へ、桜を見に行きました。 今、丁度桜が満開ですが、訪れる参拝者も少なくて静かに咲き誇る桜を 楽しむことが出来ました。 【一乗寺縁起】   白雉元年(650)法道仙人の開山、孝徳天皇の勅願による名刹。   仙人はインドより、紫雲に乗り、中国・朝鮮を経て、谷は法華の如く   峰は八葉に分かれた当山に降り止まり、山を法華山と名づく。   仙人は観世音菩薩像と鉄鉢と仏舎利のみ持し、飛鉢の術をもって   供養を乞うた。   ある時、播磨灘を行く船に鉢が飛んだが、大宰府の船師藤井麻呂は、   この船は正税であると号して供養を拒んだ。   すると、船中の米俵は一つ残らず群鴈の如く当山に飛来した。   船師驚きて当山に訪れ、懺悔して憐れみを乞うと、仙人は一鉢のみを   残して皆船中に返した。   船師、都に入りこの由を奏したところ、孝徳天皇は大いに御感あらせられた。   その後、天皇が御病気の際仙人を宮中に召し、玉体を加持せしめたところ、   御病気忽ちに平癒した。   法道仙人をお慕いになった天皇は、法華山に金堂を建立し、白雉元年に   落成、臨幸せられ、法華山一乗寺の勅額を賜い、道慈律師をもって供養し、   鎮護国家の道場とされた。   永延二年(988)花山法皇御幸あらせられ、金堂を大悲閣と命名され、西国   二十六番札所と定め給い。 …

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ススキの砥峰(とのみね)高原へ

姫路から播但有料道路を走り、神埼南出口から寺前・長谷を通り ススキの砥峰高原へとドライブしてきました。 駐車場は、平日でもあり7~8台の車だけでしたが、駐車料金 500円也を支払い、ゆっくり高原の風を感じながらの散策を楽しみ ました。 今の季節は、土日ともなれば多くの人で賑わうところです。 また映画「ノルウェイの森」や、最近の大河ドラマ「平 清盛」の撮影が 行われたことでも有名になっています。 また最近では、田村正和さん主演のTVドラマ「上意討ち」の撮影にも 利用されているそうです。 都会では味わえない高原の清々しさが感じられる気持ちの良い場所 ですね! 砥峰高原は雪彦峰山県立自然公園に属する、標高800~900mに位置する 面積約90ヘクタールの草原。 日本有数のススキの大群生地である。 近代以前は茅葺屋根材の茅の伐採地であり、その環境を維持する為に 毎年雪解けの時期に山焼きが行われてきた。 それによってススキの大草原が出現することとなった。 茅を伐採しなくなった現在もススキの大草原を維持することを目的とした 山焼きが毎年4月に行われている。 ゆっくり散策路を歩いてから、現地の「とのみね自然交流館」の食堂で 平家そばをいただきました。 そばセット(冷) そばセット(暖) 砥峰高原からの帰路は、福知渓谷を通り、一宮の伊和神社をお参り してから帰ってきました、

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