夏の龍野ぶらり歩き

昨年の秋に一度龍野に訪れた時には、秋のイベント中で旧城下は多くの 観光客で賑わっていたのですが、お盆真只中のこの日は夏の強い日差しの なかで人一人として会わず、古い城下町はひっそりと静まりかえっていました。 揖保川を渡り、旧城下に入り、龍野文化資料館で暫く龍野の歴史を 勉強した後、室町時代から戦国時代に続く赤松氏の龍野古城(朝霧城)跡の あります鶏籠山(218M)山頂まで登りました。 ところが残暑の蒸し暑い中での古城跡への登りはかなりの急坂もあり、 思っていた以上にキツくてバテバテになり、二の丸跡に着いた時には 本当にほっとしました。  あ~しんどかった!!!! 揖保川から古城のある鶏籠山を見る 旧城下 三木露風旧家 龍野城 龍野古城の登り道 二の丸跡 本丸跡 山頂の本丸跡や八幡宮跡を過ぎ、急坂を下ると両見坂の分岐に出て きましたが、的場山へは登らず、龍野神社を目指して紅葉谷の遊歩道を 十文字川に沿って下りました。 途中、鳥ヶ撓番所跡や侍屋敷跡といわれるところを歩いて龍野神社へ向かい ました。 龍野神社 龍野神社は龍野城城主脇坂家の始祖、甚内安治を祭神に祀る。 安治は賤ヶ嶽7本槍の一人。 龍野神社は全体的な感じとして、少し荒れているように思いました。 江戸時代の城主だった脇坂氏の祖先をお祀りしているためか、封建時代の 主従と…

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赤目四十八滝ハイキング

連日の猛暑続きの中、寝不足も続いていますが、昨日は一服の涼感を 求めて赤目の四十八滝巡りのハイキングに行ってきました。 午前八時過ぎに近鉄上本町で知人と待ち合わせて伊勢方面の電車 に乗り一時間少しかけて赤目口駅へ到着。 9時55分発のバスで 赤目滝まで約10分ほどでした。 赤目滝の入り口付近では、忍者装束のコスプレを楽しむ若い西洋人が 沢山居ましたが、私達はすぐにゲートで入場料400円を支払い、大サンショウ ウオを見てから谷川に沿って歩き出しました。 谷川をはさんで両側には山が迫っており、いたるところに落石注意 の看板が立てられていました。 川には大きな石がゴロゴロと沢山ころがっており、大昔から山肌を 落ちてきた石が今の景色を作っているように思いました。 大小の滝を見ながら川沿いの遊歩道を歩いていますと、風はありません でしたが、日陰が多いので割りと快適に歩いていけますが、所々に階段が つくられており、知らず知らずに登りながら上流に向かっていくように なつています。 そして川沿いの木々はもみじの木が多いようです。 秋には奇麗な紅葉が川面に映って見ごたえがあるのではないかと 思えるところです。 もちろん、次々に出てくる滝には名前がつけられており、滝つぼの水の 色が、周りの木々を映しているかのような深い青緑色に輝いています。 赤目滝の入り口から赤目出合茶屋まで5キロほど歩き、出合茶屋で 休憩しながら昼食。 少し休んだ…

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滝坂の道から春日大社御本殿参拝

地獄谷の石窟佛をゆっくり楽しんだ後、新池を経て首切り地蔵から 滝坂の道を歩き、本日の目的の春日大社参拝に向かいます。 滝坂の道はかって奈良と柳生を結ぶメイン街道として村人、旅人たち は勿論、剣術修行の剣豪達が行きかったところです。 奈良の宝蔵院流槍術や将軍家指南の柳生流剣術などの情報は、 現代と異なり、実地で体験するしかない時代ですから、一手二手を 学ぶために遠いところからこの道を歩いている剣豪たちの心境は どうだったのでしょうか。 この首切り地蔵は、そのような剣豪荒木又右衛門が試し切りしたとか という伝説が・・・鎌倉時代の作と考えられています 滝坂の道は、谷川沿いに大きな木々が茂り、少し薄暗い道です。 足元は、江戸時代の中ごろに敷かれたという石畳がありますが、 山の石がゴロゴロとして歩きにくさを感じます。 途中に朝日観音、夕日観音、寝仏など、柳生から奈良へ薪や炭、 農作物等を牛馬に積んで運んだ村人が、行きに朝日観音を拝み 帰りに夕日観音を拝んで道中の安全や生活上の諸々の願いを 祈ったのではないかと思います。 朝日観音 夕日観音 寝仏 薄暗かった滝坂の道を出て、明るい日差しの住宅地へ。 そして春日大社の摂社紀伊神社から金龍神社、若宮を お参りし、春日大社ご本殿の特別公開に向かいます。 紀伊神社 御祭神   五十猛命   大屋津姫命   抓津姫命 万物の生気、命の根源を…

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春日奥山石窟佛から地獄谷石窟佛へ

大原橋での昼食休憩を済ませ、芳山(ほやま)交番所へのゆるい 登り坂を歩きます。 この奈良奥山ドライブウエイでは、この日出会った車は4~5台ほど、 自転車・単車も数両、ハイカーが数グループで20人程という、静かな ハイキングが楽しめるところでした。 奈良の市街地から少し山に入るだけで別天地の気分が味わえる ところです。 この山中の滝坂道と言われる、柳生と奈良を結ぶ道は、昔から人々の 往来があり、江戸時代には幾多の剣豪達が、柳生の正木坂道場を 目指して行き来したところですし、さらに昔、奈良時代ごろには南都の 仏教が、国家の保護を受けて隆盛を極めていました。 国家の保護を受けた官僧たちだけでなく、私度僧といわれるような いわば、無免許僧侶も多くいた時代ですが、この春日奥山の山中の 石窟に篭もり、すばらしい石窟仏を彫り上げたのはどのような僧? 行者?それとも無名の仏師?・・・色々と思いをはせると短編の小説 が書けそうに思えてきます。 春日山石窟佛(穴仏)   芳山交番所を過ぎてほんの少し行くと右手に入る山道があります。   そこを少し行くとすぐに石窟に着きました。 外観はフェンスで保護されていますが、数体の仏さんの彫像が見て取れ ます。 奈良・平安ころの古い時代のものが良く残っていたなと思うもの から、風化し破壊されて御姿が良く分からなくなったものなど確認出来 ました。 ゆつくりとした時間を味わったところで、次は…

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春日奥山ハイキングから春日大社へ その一

式年造替で国宝御本殿特別公開と御本殿の『磐座』が初公開されて います春日大社への参拝を目的と、春日奥山の原始林の中を歩く ハイキングを楽しんで来ました。 暑い位の好天気で、新緑の木々の浅い緑が目に優しくて気持ち良く、 また強い日差しも原始林の木々がさえぎってくれて歩きやすい コースです。  それに、奈良時代の僧が彫ったり、描いたりした仏像が残るところは、 奈良のミニミニ敦煌のような趣がありました。 この日歩いたコースは・・ 近鉄奈良駅(9:30)~氷室神社前を通り水谷神社~春日奥山遊歩道 ~鎌研交番所~若草山山頂(10:45)~鎌研交番所から奈良奥山 ドライブウエイを歩き~鶯の滝(12:00)~大原橋休憩所で昼食(12:20) ~芳山交番所~春日山石窟佛~柳生街道峠の茶屋手前から地獄谷 への道を歩き~地獄谷石窟佛(13:50)~新池~滝坂の道=朝日観音 =夕日観音=寝仏~春日大社境内へ(紀伊神社・金龍神社・若宮神社 ・春日大宮御本殿特別参拝~近鉄奈良駅(16:30) このコースで歩きましたが、万歩計の数字は31000歩位でした。 近鉄奈良駅から春日奥山の遊歩道を目指して歩いていますと、所々 で春日大社の末社という小さなお社が目に付いてきます。 浮雲神社 御祭神は天児屋根命 御神徳 御蓋山の頂上、浮雲峰の本宮神社と同体とも考えられ      近世には雨乞いの祈願も行われた 愛宕神社・聖明神社 愛宕神社 …

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山之辺の道から石上神宮へ

今日、久し振りに奈良の桜井から天理までの南山之辺道を歩いて 来ました。 家を出る時には小雨が降っていましたが、桜井の駅を降りたときには 曇り空で、結局一度も雨に降られずに歩くことができました。 いつものように、桜井~海柘榴市観音~金屋石仏~崇神天皇磯城瑞垣宮跡 ~平等寺~大神神社~狭井神社~玄賓庵~桧原神社~景行天皇陵~ 崇神天皇陵~長岳寺~中山廃寺(大和神社お旅所)~竹之内環濠集落 ~夜都伎神社~内山永久寺跡~石上神宮~天理 と歩いて来ました。 (約25000歩) 所々のスナップ写真です・・・・ 金屋石仏 崇神天皇磯城瑞垣宮跡 平等寺 天皇社 神宝神社 大神神社(三輪明神) 磐座神社 狭井神社 ご神水 桧原神社 石上神宮   今年の二月に岡山県の 石上布都御魂神社 へ参拝したことでも   あり、改めて奈良の石上神宮でエネルギー探索??です! 石上神社拝殿 ご祭神   布都御魂大神 神武天皇を救った神剣。布都御魂の神霊   布留御魂大神 ニギハヤヒ命が携えた十種神宝に宿る神霊   布都斯御魂大神 スサノオ命が八岐大蛇を退治した十握剣の神霊              (元来、岡山の石上布都御魂神社の磐座に収められて               いた剣の霊威を顕していると思われます) 拝殿後方の禁足地を明治7年に官許を得て調査したと…

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貴船から鞍馬寺、由岐神社へ

昨日、13日の土曜日に知人と二人で貴船から鞍馬山に登り、鞍馬温泉で 露天風呂に入って帰るという計画で歩いてきました。 天気予報では朝から寒波襲来の予報で、少し厚着で出かけましたが、鞍馬の 山道を登り、奥の院に着いたときには汗だくになっていました。 歩いたのは、叡山電車の貴船口で降り、貴船川沿いに溯り、貴船神社から 中社(結い社)から貴船神社奥社へ。 そのあと、貴船から鞍馬寺奥の院、不動谷、大杉権現、鞍馬寺本堂をお参り して、由岐神社を経て鞍馬街道を歩いて鞍馬温泉峰麓湯へ・・・と歩き 露天風呂に入ってから帰りました。 今から6~7年以前には何度も鞍馬にはお参りし、五月のウエサク祭も三度ほど 参加したこともありましたが、その後意識的に参拝をせずに過して10年がすぎ ました。 今回歩いていると奥の院付近の木の根道には道の両脇にロープが張られて いたり、木々が伐られていたりで、少し風情が変わっていたのが残念でした。 貴船川の清流 蛍岩 平安時代に、宮廷の女流歌人の和泉式部が貴船神社に参詣して恋の成就を 祈り、「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」と有名な 歌を詠んだのが、この蛍岩近辺の光景だといわれています。 現在でも蛍の名所となっていて、6月-7月の間蛍の乱舞を楽しむ事ができます。 (写真のちょっと白いもやが気になります) 貴船神社 境内の桂のご神木 根元から多くの枝木?が強い上昇エネルギー…

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龍野城下散策

小春日和の陽射しをいっぱい浴びて龍野市の城下を散策してきました。 JR姫路駅から一時間に三本しか出ていない姫新線の普通に乗り、本竜野駅 で下車しましたが、三木露風の赤とんぼの歌詞をイメージした像が迎えて くれています。 駅前から龍野城の旧城下町を目指して揖保川を渡りますが、途中にヒガシ マル醬油の近代的な工場がありました。 龍野は江戸時代には脇坂家五万三千石の城下町として賑ったところですが、 今も古い家並みが残り、大変懐かしいような風情のある町並みを楽しむことが できます。 この日は丁度オータムフェスティバルという催しが街全体であり、多くの観光客 で賑っておりました。 龍野城 御殿 龍野城から紅葉谷を通り野見宿禰神社へと歩きました。 野見宿禰神社 野見宿禰は大相撲の神様として、昔の相撲力士が奉納した玉垣があり ました。 龍野公園の紅葉 風も無く暖かい秋の一日を楽しみ、街中で見つけたコーヒーカップを買い求め 良い気分で帰路につきました。

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吉野・蔵王権現参拝

11月2日の日曜日、朝から雨が降りそうな天気でしたが、久しぶりに知人と 吉野まで足を伸ばしてきました。 当初は西ノ京の薬師寺や唐招提寺を考えていましたが、途中の近鉄の駅 のポスターで昨日の一日から吉野山金峯山寺蔵王堂の秘仏、金剛蔵王大権現 が特別ご開帳だと知り、急遽行き先変更で吉野へ向かいました。 ただ、西大寺から乗り換えて橿原神宮駅へ、そこでまた吉野線に乗り換えて 吉野駅へと・・・結構時間が掛かりました。 吉野駅 秋の吉野は日曜日だというのに観光客は少なかったですね! ロープウエイには乗らずに七曲りの坂道を歩いて登りました。 紅葉にもまだ少し早いようでした 大峰山一の行場 幣掛神社 黒門 黒門をくぐってすぐの右手に弘願寺が ここは歯の痛み等に効験のあるといわれるお地蔵さんがお祭りされていました。 (はがため関屋地蔵尊) ・・・・で、ここ数日右下奥歯の痛みに悩んでいたので早速お参りさせていただき ましたが・・・・気のせいか分かりませんが、なんとすぐに痛みを忘れました・・・・ そして帰りの近鉄電車で数駅通過するまで完全に痛みが気にならなかったですね。 銅の鳥居を過ぎ、蔵王堂の仁王門もくぐり、いよいよ金峯山寺蔵王堂に登り 青い体をした三体の秘仏の前に・・・ その前に拝観券を求めて蔵王堂の階段を上がると、そこではエコバッグと お守りの木札を頂きました。 お堂に入り、ま近くで参拝する金…

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奈良歴史の道散策

天気予報では大阪・奈良などの地方では降水確率60%以上との 話でしたが、幸いに少し雷が鳴った程度の天気で、雨は全く無く、暑い 日差しが照りつけているなかを、西大寺から秋篠寺を経て、古墳を見て 歩きました。 近鉄のテクテクマップ『歴史の道 ウワナベ古墳・秋篠寺』のハイキング コース地図を見ながら歩いてきましたが、途中コースを外れて平城京の 大極殿から新大宮駅へとショートカットして歩いてきました。 西大寺駅~野神神社~秋篠寺~神宮皇后陵~成務天皇陵~日葉酢媛命陵 ~孝謙天皇陵~山上八幡神社~釣殿神社~佐紀神社~村社佐紀神社~ 大極殿~新大宮駅 歴史の道ハイキングコースの案内で歩きましたが、ハイキングをしている 人は一人も無く、時々地元の人が自転車でゆっくり走っているのに出会う 位の、のんびりとした時間が流れているようなところでした! 秋篠寺の南門遠景 その南門のそばに、八所御霊神社がありました。 秋篠寺南門 南門を入った境内は、このような暑い夏の日差しにかかわらず、緑の苔が 綺麗に広がっていました。 本殿の有名な伎芸天の像は拝まずに境内を素通りしました。 神宮皇后陵 成務天皇陵 日葉酢媛命(垂仁天皇皇后)陵 これらの天皇陵の近くには、道鏡事件で知られる、孝謙天皇陵もあります。 これらの古墳の道を少し進むと、山上八幡神社が祀られています 山上八幡…

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和歌山・加太散歩

和歌山市の加太は古くから海洋交通の要所として開けたところで今も残る 町並みが漁港としての風情が沢山残っているところです。 南海電車の和歌山市駅から単線の加太線に乗り終点の加太駅で降車すると 観光客のような若い女性が多く降りてきていたのに少し驚きました。 駅員さんの話では、女性のための神社として人形供養のお宮で有名な 淡嶋神社や、友が島に渡る女性が多いということでした。 町の案内では、『加太は古くから瀬戸内海の入り口、淡島街道賀太駅として、 淡路島・四国・九州への交通の要所でした。 奈良時代からは役行者の修行の場となり、平安時代には弘法大師も訪れ ました。 江戸時代には、四国九州の大名の参勤交代の道となり、紀伊国屋文左衛門が 江戸へみかんを運ぶ船を出すなど港町として栄えました。 また、幕末には紀州藩出身の第14代将軍徳川家茂が淡嶋神社を訪れ、勝海舟 も加太の宿に泊まったといわれます・・・・』 と、書かれていました。 加太歩きの見どころコース片道3~40分の案内を参考に散歩しました。 1。 加太駅      ↓ 2. 中村邸  明治の終わり頃の洋館で昭和39年頃までは警察署として使用      ↓ 3. 消防署前の道しるべ      ↓ 4. 常行寺      ↓ 5. 道しるべ  左阿王し満道(あわしまみち)とかかれています     ↓ 6. 加太春日神社 本殿の御祭神    …

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伊賀上野散策(三)鍵屋辻の仇討ち

鍵屋の辻の仇討ちは、我々が子供の頃に映画などで、荒木又右衛門 の三十六人切りなどと言われており、二刀流に鉢巻に手流剣を数本 さした戦い姿を思い出します。 現在の伊賀鍵屋辻 この鍵屋辻の近くに幸福寺地蔵尊があります

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伊賀上野散策(二)

伊賀上野の散策は伊賀鉄道・茅野駅からはじめました。 茅野駅から芭蕉の弟子の服部土芳ゆかりの草庵という『蓑虫庵』へ 向かいました。 途中、恵比寿神社と愛宕神社にお参りしてから蓑虫庵に入り、風雅 な庭園や建物、そして俳句が刻まれた石碑などを見学しました。 恵比寿神社 途中にあった伊賀流忍者店 愛宕神社 どういう意味の言葉なのか分かりませんが? 蓑虫庵 古池や 蛙飛び込む 水の音   の句碑

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伊賀上野散策(一)

26日の土曜日に伊賀上野へ行き芭蕉所縁の施設などを見て 歩いてきましたが、彼方此方で忍者装束の子供や大人が たくさん沢山歩いていました。 古い家、屋敷が沢山街角に残る 城下は忍者衣装が良く似合い、ほほえましい雰囲気にあふれた 楽しい街歩きとなりました。 伊賀上野は大阪上本町から近鉄電車の急行と伊賀鉄道を利用で 2時間ほどで行けますが、私は今回が初めての訪問です。 近鉄の伊賀神戸駅から伊賀鉄道に乗り換えますが、松本零士さんの イラスト?の描かれた二両編成の電車や、その車内も忍者をテーマに した工夫がされていて、その遊び心が遊園地感覚で楽しいものでした。 伊賀鉄道 松本零士さんのサイン 車内の蛍光灯の縁には忍者手裏剣が そして網棚には忍者が 乗り継ぎ切符販売のおじさんも 上野市駅前の松本零士さんの作品モチーフのブロンズ像 その他スナップ

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瓜生山ハイキング(三)瓜生山山頂~狸谷不動尊

白川石の切り出し場から少し登ると開けた台地上の瓜生山山頂に 到着。 この山頂は戦国時代に北白川城とか瓜生山城とか、また勝軍地蔵 山城とも呼ばれている山城が築かれていたところですが、現在は ちいさなお堂(幸龍大権現)とその裏に石室があるだけです。 ここで時間もお昼近くなっていましたので、暫く昼食休憩にしました。 ここから比叡山方面へトレイルの山道が伸びていますが、私は狸谷 不動の方へ降りました。 この瓜生山のお堂から狸谷不動の山道には、丁寧に造られた三十六 童子の石仏が一体つずつ置かれ祭られています。 山頂近くに第三十六番の烏婆計童子が、そして順番に一番の矜迦羅童子 まで祭られていました 三十六童子は不動明王さんの従者のような存在とされています 狸谷山不動院 狸谷山不動院は、天応元(781)年に桓武天皇勅願で平安京の鬼門守護 として「咜怒鬼(たぬき)不動明王」様が安置されたことが始まり。 「鬼を叱る」といわれるほど大変険しい表情をされていることから、悪鬼・悪霊 退散、あらゆる災難を取り除いてくれる不動明王様として厚く信仰されています。 また、タヌキが『他を抜く』ということで、勝負事などの厳しい世界に身を置く人達 の参拝も多いそうです。 本殿に至る250段の石段の係り口には、阪神球団優勝の記念碑や小林投手の お百度参拝の記念碑も見かけました。 こちらでは、便所の神様といわれる『ウスサマ明王…

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瓜生山ハイキング(二)白幽子寓居跡~白川石切り出し場

大山祇神社、地龍大明神のお参りを済ませ山道を少し進むと白幽子 旧跡への案内板を見て、整備されたコースから離れ、踏み跡を頼りに 山道へ入りました。 人一人もいない山道の登りで少し不安に感じながらもどんどん歩いて 行くと、屏風の様な岩を背に少し開けた空間があり、そこに白幽子寓居 跡の石碑が建っています。 井戸跡 現在では京都市内から4~50分で行けるほどのところで、さほど深山幽谷 というような山中ではないのですが、それでも人々の気配が全く感じ られない、そして木々が空を覆い、日当たりの悪い山中での独居暮らしは 覚悟のいる生活だったと思います。 仙人といえども霞を食べているわけでなく、白川の村人の助けもあっての 暮らしだったのではないでしょうか? また、すぐ近くには白川石の切り出し場があったことから、切り出し人足達 や、その現場小屋などもあったのではないでしょうか? ところで、この白川仙人白幽子は、江戸期の臨済宗中興の祖と言われる 白隠禅師の夜船閑話などの書物から有名ですが、実際に白隠禅師が 白幽仙人に会ったかどうか色々疑問のあるところだそうですが、激烈な 座禅修行結果、禅病といわれるノイローゼ?肺結核?のような症状に 苦しんだ白隠が、白幽仙人の教える療法で雲が晴れるが如く改善したと いうことです。 その出会いについて、夜船閑話には以下のように書かれたいます ので少し引用しておきます・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『或…

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出町柳から瓜生山を経て赤山禅院へハイキング(一)

今日(1月25日)は朝から温かい三月並の陽気に恵まれて 京都の北白川の山沿いの道を歩いてきました。 歩いたコースは 出町柳~浄土寺橋~北白川自然の道~大山祇神社~白幽子寓居跡 ~瓜生山~狸谷不動~八大神社~鷺森神社~赤山禅院~修学院駅 時間にして5時間、約22000歩でした 叡山電鉄の出町柳駅前を9時50分頃に出発。 今出川通りを銀閣寺方面に歩きます。 京都大学のあります 百万遍付近には、昔ながらの古本屋さんを何軒か見掛けました。 またゆっくり見に来たいと思いながら、子安観音から浄土寺橋を 過ぎ、天神宮にお参りし、日本パブティスト病院脇から山道に 入り瓜生山を目指します。 子安観音 北白川天神宮 由緒 八世紀前半、久保田の森に祠を建て守護神として少彦名命 名を「天使大明神」(天使社)と称して祀り、里人の鎮守の神としての信仰 を集めていたという。 文明十四年(一四八二)二月、室町幕府八代将軍足利義政公が東山殿(銀閣寺) 造営に当たり、その往還に際して久保田の森にさしかかったとき、にわかに乗馬 が嘶き蹄を立てて進まなくなった。 家臣に調べさせたところ、この森に神を祀る祠があることが判り、その神威を 感じて王城鎮護の神として東北の鬼門にあたる現在の千古山に遷座し 奉ったという。 新たに祀られた「天使大明神」は、地域の守護神・白川村の産土神として 里人の崇敬を集め、全村民が祭祀に参与した。 御祭神は少…

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多武峰談山神社から飛鳥へ その二

談山神社おすすめ?のパワースポットと書かれた場所がありました。 十三重塔から御相談所・御破裂山への登山道の手前に小さな川の 流れがあり、古代祭祀の磐座と竜神社が祭られています。 そこにパワースポットという説明札がありました。 (写真はクリックで大きくなります) 私は、こちらの大樹の方がおすすめです 山への道 少し急な山道を登っていくと、談い山(かたらい山566M)という、鎌足と 中大兄皇子が蘇我氏打倒の謀を練ったとされる場所がありました。 談山神社の裏手の山中で、計事を相談するうえで細心の注意を払って いたことが伺われるところです。 御破裂山(鎌足墓所)    古来より天下に異変が生じるときには、御破裂山が鳴動すると  言い伝えられています。 談山神社を後にして飛鳥方面への道をたどって2~30分歩いたところに 増賀上人墓・念誦崛(ねずき)というところがあり、其の入り口には、京都 清水寺の元貫主大西良慶さんの誕生地という石碑がありました。 現在は多くの石仏と墓所が残っていますが、付近には何も無い山中 です。 明治八年うまれの大西良慶さんが生まれられた頃はどんな様子だった のでしょうか? 元々此の辺りは談山神社の神宮寺の奥之院(妙楽寺?)があった場所 だそうで、それ以前、多武峰の寺と奈良興福寺の間では何度も争い があり、ここには飛鳥方面から攻め上がってくる…

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多武峰談山神社から飛鳥へ  その一

12月に入り昨日の冷え込みから一転、小春日和の陽気のなか 紅葉の談山神社から飛鳥方面へハイキングを楽しんで来ました。 桜井駅から多武峰談山神社までバスで上がりましたが、日曜日 というのにさほどの人出でもなくゆったりと乗ることができました。 少し紅葉のシーズンも終わりかけているということでしょうか、談山神社 も混雑もなくてゆっくりと紅葉を楽しめましたが、枯れて落ち葉になっている もみじも多くて時期的には少し遅い感じがしました。 談山神社境内でのスナップ写真です(クリックで大きくなります)

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高野山紅葉~町石道

11月4日、高野山の根本大塔付近の紅葉を楽しんだあと、いつもの ように大門から町石道を歩き九度山までのハイキングです。 この日は雨が心配でしたが朝から曇り空でなんとか出発です。 途中、天野の地蔵堂付近から六本杉峠まで雨に降られましたが それ以外は時々晴れ間もあり、気持ちの良いハイキングを楽しむ ことができました。 高野山根本大塔付近の紅葉です 丹生都比売さん高野明神さんにご挨拶してから町石道へ向かいました   空海が修行に適した土地を探して歩いていたところ猟師に出会い、   その猟師がつれていた2匹の犬に導かれ山中に赴いたところ、   土地の神である「丹生明神」が現われ高野山を譲り受けた、との伝承   が残されています。    町石道   壇上伽藍付近から九度山の慈尊院まで180町あまり、20キロほどの   山道が続いています   1200年という永い時間、空海さんはじめ多くの僧侶や巡礼の老若   男女が歩いた道です。 熊の出没注意の看板を横目に見て大門から山道に入ります 鏡石 押し上げ石 袈裟懸け岩(くぐり石) (写真が見れない場合、枠内をクリックしていただくと見れると     思います) 地蔵堂 ちょうど地元の方がおられ、扉を開き、地蔵堂のお地蔵さま、お大師さま 拝ませていただきました 天野の集落 町石道から丹…

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葛城山ハイキング

近鉄テクテクマップの葛城高原の地図を利用し、葛城山を歩いて 来ました。 夏の日差しで、熱中症に気を付けて、ロープウェイで山頂まで 上がり、頂上から降りてくるコースを選びましたが、当初の計画では 岩橋峠を経て近鉄南大阪線の磐城駅まで歩くつもりでしたが、途中で 道を間違え、北尾根コースに入ってしまったので、降りたところは 元のロープウェイ登山口でした。 それでも、バスの便が悪くて、ロープウェイの登山口への行き帰りとも 歩きましたので距離数は11~12㌔位になっていたようです。 大阪阿倍野橋から吉野行き急行に乗り、尺戸駅で乗り換えて御所駅 で下車。 ロープウェイ登山口行きのバス便まで一時間ほど待つのを止めて、 暑いアスファルトの道路を歩きました。 バスの便はつつじの時期は一時間に一本のバスがありますが、丁度 私達が着いた時間にはバス便がなく、登山口まで歩くと50分程掛かり ましたが、ロープウェイの発車時間にはうまく間に合いました。 歩いている途中から大和三山が見えていました 私達が乗ったロープウェイには大きな荷物を持った5~6人の方たちが 乗っていましたが、山頂高原からパラグライダーをされる人達でした。 山頂付近の朝の気温は19度ということで大変涼しく感じましたが、この 気温もお昼過ぎには24度程になっていました。 それでもさすが 1000メートル近い高原です。 山上駅近くに鎮座しています、葛…

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笠置から柳生を経て布目川沿いを歩く

笠置寺から柳生への道は東海自然歩道を歩きました。 笠置寺付近の道にはアジサイの花が沢山咲いていましたが、 この日照りの中でみず水しさがないように感じました。 山道を抜けるとゴルフ場横の舗装された道路を歩いていると 川沿いに柳生への入り口にあたるところに”阿対(あたや)の 石仏”というのがあります。 阿対の石仏 阿対の石仏は、流行病に霊験ある阿弥陀如来と、子授けには 地蔵菩薩という二体の石仏からなり、鎌倉から室町期にかけての 磨崖仏です。 柳生バス停付近の小さなスーパー前の椅子に腰を下ろして しばし休憩。 時間もお昼過ぎになり、道路からの照り返しが強くまぶしく 感じられ、疲れもありましたが、布目川を目指して柳生焼きの 窯元の方に歩き出しました。 この窯元の近くの鉄階段を登って行くと休憩所と剣塚があるそう なのですが、今回は見送って先へと急ぎました。 布目川沿いの道も全てセメント舗装された道路でしたので歩いて いると大変疲れます。 一時間ほど歩いたところで河原に降りれる場所を見つけて遅い お昼の弁当を拡げましたが、食欲も無く、靴を脱いで川の水なかに 足をつけて一息つきました。 休憩を終えてすぐのところに橋(布目橋)があり、其の橋を渡ると 右手の河原には甌穴といわれるものが見られました。 甌穴(おうけつ)は、石の窪みなどに入った小石が、川の流れで その窪みを掘り拡げたもののようですが…

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笠置寺修行場巡り(四)

伝・虚空蔵菩薩の雄大な線刻磨崖仏を堪能したら、胎内くぐり を経て、笠置山の大石をめぐる遊歩道になります。 それにしても、この笠置の山はどういう成り立ちからか大きな 岩石があちこちに露見しています。  それはこの笠置寺のある 山に限らず、木津川の対岸にある山中にも巨岩がたくさん見られ ますし、そのような山から落ちたのか、川の中にも大きな岩が 見られます。 胎内くぐり 笠置山中には滝など水場がなく、そのためこのような岩の間を 通過することで、世俗の垢を除くと云う象徴的な行為を示しています。 短いですが、薄暗くひんやりとした岩陰から、再び日の当たる外界に 出る様子が、全てをまかせて安心しておられる母親の胎内から外界 への誕生は、大きな刺激のある世界へ飛び出すこととともに、自分 の力で歩んでいくという覚悟のいることなのだと、あらためて思い ます。 それにしても、この水の便が悪い笠置に、二~三千人前後の兵力で篭城 し、七万余の幕府(北条)方の武将たちと一ヶ月も戦うことができた という凄みが感じられる景観です。 太鼓岩 ゆるぎ石 平等石付近から木津川を眼下に見る 貝吹き石 後醍醐天皇の行在所跡に行く途中にかわいい石仏があります 後醍醐天皇行在所跡 この階段を登った、笠置山の山頂にありました 『太平記』の3巻によると、後醍醐…

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笠置寺修行場巡り(三)

笠置には、古い伝承を持つ巨岩、行場、礼拝場が沢山ありますが、 本尊弥勒磨崖仏に続く、大事な場所が次の千手窟なのではないかと 思われます。 千手窟の伝説 一、 役行者が661年に千手窟にて修行 二、 聖武天皇の御世、東大寺造営にあたり、良弁がここに籠り    秘法を行う    東大寺の大仏殿建立についての伝説では・・・    大仏殿の木材は、笠置山の麓を流れる木津川によって運搬    されていましたが、あるとき渇水により笠置の辺りで木材が    流れなくなってしまいました。.    それを知った東大寺の僧・実忠は、この千手窟にて雨乞いの    修法を催します。    すると、滝穴から竜王が現れ、木津川に雨を降らせたのです。    こうして川の水量が増し、その後はスムーズに資材を奈良の都まで    運べるようになり、無事に大仏殿ができあがったという話があります    そして、この雨乞いの儀式こそが、現在二月堂で行われている    「お水取り」の起源であるともいわれています。    また、大仏殿を修理する際には、必ずこの千手窟で完成を願っての    法要が行われたそうです。 三、 別の伝説では、752年、東大寺僧実忠が修行の為に千手窟の    奥へと進むと、そこは兜卒天という仏の世界があり、そこで菩薩    から行を教わる。    この行が十一面観音侮過法と云われるお水取りの行法だといわれる 「二…

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笠置寺修行場巡り(二)

笠置石 本尊磨崖仏方面に向かって少し歩くと、頭上に被さる様な 大岩があります。  【笠置の云われ伝承】 『笠置寺縁起』には白鳳11年(682年)、大海人皇子(天武天皇) の創建とある。 一方、『今昔物語集』巻11には笠置の地名の起源と笠置寺の 弥勒磨崖仏の由来について、次のように伝えている。 天智天皇の子である大友皇子はある日、馬に乗って鹿狩りを していた時、笠置山中の断崖絶壁で立ち往生してしまった。 鹿は断崖を越えて逃げ去り、自らの乗る馬は断崖の淵で動きが とれない。 そこで山の神に祈り、「もし自分を助けてくれれば、この岩に弥勒仏 の像を刻みましょう」と誓願したところ、無事に助かった。 大友皇子は次に来る時の目印として、自分の笠をその場に置いて いった。 これが笠置の地名の起こりであるという。 その後、皇子が再び笠置山を訪れ、誓願どおり崖に弥勒の像を 刻もうとしたところ、あまりの絶壁で思うにまかせない。 しかし、そこへ天人が現れ、弥勒像を刻んだという。 これが笠置寺の弥勒磨崖仏の由来であるという。 ・・・・よく判らないのは、近くには薬師石と書かれた石柱が あり、どれがどの石なのか? 私自身の独断で、頭上に覆い被さるような迫力ある大岩を 勝手に笠置岩と思いましたが、間違っていたら御免なさい。 上記の今昔物語からは弥勒石が笠置石ということのように 書かれています…

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笠置寺修行場巡り(一)

笠置寺の山門を入ると笠置灯篭と本尊仏の石造香炉がありました。 笠置灯篭 本尊仏の石造香炉  奈良時代。我が国最古最大の大磨崖仏(御丈20M)前の香炉。  室町期のもの。 その後江戸期には手洗鉢に転用されて残ったもの。 解脱鐘  鐘の基底部が六っに切り込まれた意匠は日本に唯一。  中国の形式をもった鐘で、建久七年(1196)東大寺俊乗坊重源和尚  の作。  当時、日本の宗教改革者と云われた、笠置寺解脱上人に、重源和尚  は、この鐘と、中国より持ち帰った紺地金泥の大般若経六百巻を  寄進。  しかし、大般若経及び、それを納めた六角堂、鐘楼は元弘の戦で燃え、  この鐘のみが残っている。 受付で入山参拝料を支払い、いよいよ楽しみの修行場めぐりに、イザ!! 修行場入り口を入りすぐのところには椿本護王宮がひっそりと祀られて います。 椿本護王宮   笠置寺一山五十ヶ寺の総鎮守社。   延喜八年(908)吉野金峯山寺より勧請したもの。   元弘の変で焼亡後の社殿。 そして、太師堂の石段手前には、ネコの”かさやん”のお墓と追悼碑 がありました。 ”笠やん”は笠置の名物ネコとして、参拝者たちから親しまれていた そうですが、残念ながら私は過去3回の参拝でも会った事がありません でした。 笠やんは1990年代に笠置寺に住み着いた野良猫だそうですが…

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笠置寺から柳生・布目川周遊

毎日35度を超える酷暑が続いていますが、少し弱った足腰に活を 入れるべく数十年ぶりに笠置寺に参拝し、東海自然歩道を歩いて 柳生へ、そして布目川沿いに歩き、木津川に出たところでJRの線路脇を 歩いて笠置の町へ、という周遊コースを歩いてきました。 総歩数は25000歩。時間にして5時間ほどでしたが、日中は35度 を超えているのかと思える強い日差しの中、しかもセメント舗装の 道が多くて大変疲れましたが、笠置の”わかさぎの湯”という笠置 いこいの館の温泉に入って足の疲れを癒してから帰途につきました。 笠置へはJR奈良駅から加茂行きに乗車。加茂駅で亀山行きの 二両連結のローカルな風情のワンマン電車で笠置駅で下車。 ただ、本数が少ないので時間がかかりました。 笠置駅 笠置駅前には元弘の変での攻防のモニメントがありました 元弘の変と笠置   鎌倉幕府を倒す計画が前権大納言吉田定房によって漏れ、   その首謀者たちの日野俊基・円観・文観・忠円らが捕らえ   られた事件で、後醍醐天皇も危うくなり京を脱出する。     後醍醐天皇、大和国笠置山に立て籠もる。  京を脱出し、はじめ東大寺に逃れようとしたが拒否され、次に   山城国和束の金胎寺に移った。   そしてより要害な笠置山に籠り倒幕の旗をあげた。  護良親王も比叡山から笠置に移る。  一ヶ月の攻防の末笠置城落城。   笠置…

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丹生川丹生神社

既に廃校になっている丹生川小学校の校庭を見守るような ところに丹生川丹生神社が祭られています。 御祭神   丹生都比賣命    合祀    久久能智命、豐受姫命、手置帆負命、彦狹知命、高野御子大神 由緒  神社の由緒書きから。  『丹生神社造営記』によれば、当社の由来は古く、田摩に地主神として  丹生都比売神を祀ったのが始まりで、後に現在地に社を移したという。    寛正五年(1464)野火のため神宮寺の円通寺とともに全焼したが、  ご神体(木彫極彩色の女神像)は神社前の丹生川の川中にある八葉石  (別名明神石)の上に移して難をのがれ、文明6年(1474)社殿を再建した。  その後すたれていた当社と同寺を復興しようと、同寺住職空算房が  貞享四年(1687)社殿を改築。    明治十六年円通寺とともに再び消失したが、翌年再建して社殿を  内宮造りとした。昭和六十年に遷宮を行う。   玉川峡の数ある大石の一つである八葉石(明神石)と名付けられた大石 が神社近くの川中にありますが、この大石に丹生都比賣が降臨された といわれています。 この大石がそうでしょうか?(不明)

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玉川峡ハイキング④(国城山・国城神社)

南朝の人達の運命と寂しさや、時代の権力からはじき出されたり した恨み辛みの日々は痛ましいものが感じられます。 皇統の正式な証の神器が有りながら、武家幕府の老獪な戦術に 翻弄されて神器を奪われたり、約束を反古にされたりと悔しい 思いを胸に抱いていたことだと思います。 いずこの南朝遺跡でも宮跡と云うものの、現在の時代でもすごく 辺鄙な場所が多く、隠れ里のようなところで雌伏していた生活に 同情が禁じえないものがありますね。 玉川峡の「犬戻」から国道371号線と合流したところで、川沿い から離れて国道を登っていきました。 どんどん登って行くと渓流の音も聞こえなくなってきたころ青淵入口 の標識を見て国道から別れて左の山道(と云っても舗装された 生活道路のよう)へ入って行くと、人も車とも行きかうことなく、木立 に覆われた暗い道路をどんどん歩いていくと何箇所か下の県道に 通じていると思われるような道がありましたが、目指す方向が判らず 不安な選択をする処が何箇所かありました。 途中、この山中でも柿畑があり、数軒の民家が有りましたが、車が 通れる道路が出来ており、それ程の不便は無いものだと思いました。 しかし往時は不便な生活であったのではないかなと考えながら 歩いていました。 民家も無くなりどんどん山中に入っていくと、やっと立て看板のような ものがありました。 この看板を見て左側の地道をどんどん歩いて行くと一軒の民家が あり、そこで国城山方向…

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玉川峡ハイキング③(南朝の遺跡)

河根の集落からさらに歩いていく渓流沿いの塩ノ瀬キャンプ場や 葵茶屋キャンプ場などではオートキャンプの家族連れが沢山来て いましたし、そのような施設の無いところでも、あちこちの河原では 焼肉などで楽しく過ごしている様子を見ながら進んで行くと、南朝 玉川宮伝承地(玉川宮・明野庵跡)という案内表示が出ていました。 付近の様子 亀石 第98代長慶天皇の叔母(後醍醐天皇の皇女)の観阿弥尼公は この地に草庵を営まれ、明野庵と称せられた。 長慶天皇は尼公を慕い、この地に遷御せられ玉川宮と称したと 云われる場所。 それにしても南朝方の天皇の哀れさが感じられるような辺鄙な ところですね。 もちろん天皇とは名ばかりで政治はもちろん、宮中の 儀礼などもできるわけが無く、和歌の研究をされたりしながら倒幕の 執念を幕府から疑われて生命を狙われる不遇な生涯を送られたようです。 宮跡と云えるほどの広さもない、猫の額のような場所で、どのような 思いで過ごしておられたのでしょうか。 この玉川宮伝承地の少し先に丹生川丹生神社があり、その境内は 現在廃校になっている丹生川小学校がありました。 そしてこちらには観阿弥尼公の墓所があるそうです。 丹生川丹生神社 丹生小学校(廃校) 創立百周年の石碑が小学校の歴史を語っていました 観阿弥公墓所の説明板 長慶天皇の元陵墓近くは今キャンプ場に!

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