大峰山

6月1日の朝、神戸の大峯講の行事に参加して、洞川より大峰山、山上ヶ岳 (1719M)に登拝してきました。 平成14年以来、7年ぶり4回目の大峰山になりましたが、新客さん達と 一緒にゆっくり登って行きましたので,メタボ体形に変身している現在でも それほど疲れも無く登れました。 大峰山は役行者さんが1300年以前に修行された聖地として、今も 女人禁制が守られ、女性の行者さん達は稲村ヶ岳や蛇之倉など で行をされています。 女人結界門 途中「行者さんのおたすけ水」を過ぎ、洞辻茶屋で吉野からの道と合流 洞辻茶屋、陀羅助茶屋をすぎて木の階段を登っていくといよいよ 表の行場がでてきます。 最初の鐘掛岩を過ぎ、等覚門をくぐると空気感のようなものが変化するのを 感じました。 等覚門 表行場・・・・鐘掛 「鐘掛と問うて尋ねて来てみれば 九穴の蔵王             下にこそ見れ」         鐘掛岩と呼ばれる、6~7Mの切り立った岩を、先達の指示で         手足の置き場を教えてもらいながら登ります。        お亀石 「お亀石踏むな叩くな杖つくな 避けて通れよ              旅の新客」        西の覗き「ありがたや西の覗きに懺悔して 弥陀の浄土に              入るぞ嬉しき」        西の覗きは有名な行場で、切り立った絶壁から身を乗り出して        「親孝行するか…

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林神社(林崎)

林崎漁港まで歩き、そこから浜街道方面に方向を変えて、その上 山陽電車の線路を越えた高台に林神社があります。 林神社   この神社の由緒では、「赤石」の上に少童海命(海神)が現れたという 謂れがあり、その赤石が成務天皇の時代の138年8月8日に海没した ため、翌年、この地に神社を建て、少堂海命を祀ったのが始まりと云う。 ご祭神   少童海命   彦火々出見命   豊玉姫命   葺不合尊   玉依姫命   御崎大神 明石海峡は潮の流れが速く、古代より難所であったので、漁の豊漁と 海上交通の安全を見守るという意味が大きかったものと思われます。 神社境内から海を臨む

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御崎神社(藤江)八雲神社

青龍神社の直ぐ近くに御崎神社の森が見えています。 御崎神社   3世紀ごろ、神功皇后が新羅に出兵しようとしていた時、丹生都比売が   この地の国造の姫である、石坂比売に乗り移り『自分を良く祀ってくれる   なら、新羅を平定させてあげよう』と託宣したという、言い伝えがあります。   この神社の参道入り口で、白黒模様の綺麗なセキレイ一羽と出会い   ました。 あまり気にも留めなかったのですが、ずっと藤江の海岸沿いを   歩いて、林崎まで行き、そこの林神社でも、全く同じ白黒模様のセキレイ   と出会いました。 同じ鳥かどうかは分かりませんが、不思議な   偶然を喜びました。 藤江の海岸線の整備された遊歩道を歩いていきますと、海岸沿いに 小さなお社がありました。 八雲神社   こちらのご祭神や由緒は全くわかりませんが、一般的に、八雲神社と   云われるお宮さんは、スサノオ命を御祀りしていることが多いそうです。   ひょっとすれば、疫病除けのために御祀りされたのかとも思いました。   明石、神戸の海岸線に御祀りされている神様は、豊漁と海上の安全を   願う神様をお祭りしている神社が多いですね。   蛭子・恵比寿・戎などと書かれるえびす神   住吉・綿津見・少童神などの海神   それと神功皇后にまつわる故事をもつ神社などをよく見かけます。 八雲神社から少し歩いていると、明石の地名の元になったといわれる、 赤石について書かれた看板が…

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青龍神社(藤江)

青龍神社   御祭神  葺不合命  神武天皇  玉依姫  允恭天皇  少童海神 境内から縄文時代の遺跡が見つかっている(出の上遺跡)

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山陽・藤江~明石迄ウォーキング

連休の好天のなか、藤江から明石まで、途中のお宮さん参拝を楽しみに 歩いてきました。 17540歩 10KM 576Kカロリ- お参りした神社   青龍神社   御崎神社   八雲神社   蛭子神社   林 神社   いざなぎ神社   いざなみ神社   岩屋神社 海岸線の遊歩道を海を見ながら歩いていると、あちこちでバーべキュー をしているグループがたくさんいて、楽しんでいました。 海岸から淡路島 私は、御崎神社で白と黒色の鶺鴒を見かけたのですが、そこから 3~40分歩いて、林神社でも同じ?鶺鴒を見かけました。 白黒二色の綺麗なセキレイでしたので、偶然にしても嬉しい 出会いをしました。 明石では、魚の棚を通りましたが、多くの人で賑っていました。 各々の神社については、また少しずつ書いていきますね。

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三輪の神宝神社

こちらのお社も、大神大社境内手前、少し奥まったところにお祀り されています。 御祭神は     家都御子神    熊野夫須美神    御子速玉神   所謂、熊野大神とか熊野権現とされ、熊野三山におられる神様です。   家都御子神は熊野本宮大社の主祭神でスサノオ神の別名といわれています。   スサノオが木種を持って、子神の五十猛命と降臨し、植林し、住んだとされ、   その木の国が紀の国の由来といわれています。   熊野夫須美神は熊野那智大社の御祭神   御子速玉神は熊野速玉大社の御祭神 三輪に熊野大神がお祭りされたのは何時の事か? 蟻の熊野詣でといわれたブームのなかで勧請されたのではないかと 考えています。(私考で根拠はありませんが) 熊野大社改訂新版楽天ブックス著者:篠原四郎出版社:学生社サイズ:単行本ページ数:228p発行年月:2001年05月この著者の新着楽天市場 by ウェブリブログ

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三輪の天皇社

山辺道を大神神社境内に入る手前、坂を登り、一段高くなった処に 静かに鎮座されています。 こじんまりと整った境内の空間は、あまり参拝される人も無く、落着いた 気持ちの良い場所です。 大神神社には、いつも多くの参拝者がおられますが、こちらに目を向けられる 人は少ないようです。 崇神天皇が実在したかどうかは別にしても、ここの雰囲気は好きなところ です。 三輪山と卑弥呼・神武天皇楽天ブックス著者:笠井敏光/金関恕出版社:学生社サイズ:単行本ページ数:194p発行年月:2008年08月この著楽天市場 by ウェブリブログ

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神坐日向神社(みわにいますひむかい神社)

山の辺道、金屋から大神神社に向かって歩いていると、民家の路地 のような所に、小さな立札に日向神社と書かれてありました。 今まで、ずっと見過ごしていましたが、その神社名が気になり寄って みました。 ご祭神を確認しようと、小さな祠のようなお社に、これまた小さな板切れに書かれて いましたのは、次の三柱の神名でした。 櫛見方命(櫛御方)、飯肩巣命(飯肩巣見)、武甕槌命 それぞれ大物主大神と活玉依毘売との子・孫・曾孫という方です。 今でこそ、小さな、忘れられたような祠でしかありませんが、立派な式内社として 記載されています。 そして、一番肝心なのは、同じお名前の神社が、三輪山の山頂の高宮として お祭りされていることです。 三輪の御神体山は、狭井神社から登りますが、中腹の磐座を過ぎ、頑張って 登っていくと、頂上に小さなお社がありますが、この社が 高宮といわれる日向神社です。 そしてそこから少し進むと山頂の磐座があります。 (御神体山にはカメラ等は持ち込めませんので、写真はありません) そして、この両神社の立っている向きが大事なのですが お山の高宮は東から登ってくる太陽(朝日)を拝むことができるように建てられてあるそうで、 下にある宮(里宮)は北向きに建てられてあり、日中に南中する太陽を拝めるように 建てられてあるそうです。 太陽信仰(伊勢信仰・天照)とのつながりの深いお宮としても、その御祭神との 関係が良く分かりませんが、「天照国照彦天…

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崇神天皇の宮址

山の辺道、金屋から大神神社に向かう途中に、第十代崇神天皇の 磯城端籬宮址があり、今は木立に囲まれたさほど広くない境内の、古いお社が あります。 崇神天皇はミマキイリヒコイニエノ命とかハツクニシラススメラミコトと 呼ばれています。私が学校で習ったころは神武から第九代の天皇までは 神話のなかの創作として、この崇神がその御肇国(ハツクニシラス)天皇 という事から、初代の天皇ではなかったかと教わったように思いますが、 今は、この崇神や垂仁天皇なども実在しなかったと考える人が多いそうです。 ともあれ、この天皇のミマキイリヒコイニエノ命という名前は意味深です。 江上波夫氏の「騎馬民族征服説」では 3世紀末、高句麗の騎馬民族が南下し南朝鮮を支配。その後4世紀には 北九州に上陸、支配。このとき朝鮮からやってきて、九州王朝の開祖に なった者が、後に「崇神天皇」と呼ばれる。・・・第一回の建国 この崇神天皇の渡来がニニギノ命の高千穂への天孫降臨神話で、ミマキイリヒコ のミマキ(御間城)とは任那のことではないかと考える。 この九州王朝がやがて「応神天皇」を戴いて、大和地方の征服をはたした。 この北九州から近畿地方への遠征が「神武天皇の東征」として神話に書かれ ている。・・・第ニ回の建国 応神天皇は九州の出身という事は「記紀」に載っているそうです。 応神天皇は神功皇后が神がかり(実は不倫?とも)して身ごもった子供で その実在性が確実視されている天皇です。 騎馬民…

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八咫烏神社~大和神社

先日に続き、昨日の日曜日は、十数人の団体で、八咫烏神社~龍穴神社 ~吉祥龍穴~天岩戸~大神神社~狭井神社=神体山登拝~大和神社 とお参りしてきました。 先日は、山の辺道のハイキングで、その道々の古社をお参りするような感じ でしたが、今回は神社のエネルギーを感じ、楽しむようなお参りができました。 山の辺道での細かい話も書いていませんが、今回のお参りも、取り合えず 簡単に写真をアップしておきます。 八咫烏神社 八咫烏神社から見える山並み 室生大野寺の摩崖佛 龍穴神社 今回のお参りは、龍神さんを意識したお参りになりました。 龍穴神社~三輪御神体山~大和神社の高龗神社 高霎神ではじまり、高霎神さんで締めくくったお参りでした。 大和神社と夕日 大和神社の高龗神社と夕日

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山の辺の道ハイク

昨日、友人と、奈良の桜井から天理まで、古代の官道といわれる山の辺道 のハイキングを楽しんできました。 ここ数年の間に3~4回歩いていますが、いつも気持ちが良く歩けます! 今回は特に大和神社(おおやまとじんじゃ)に初めてお参りできましたし、 他にも新しい発見もありました。 桜井~天理 歩数 32000歩 距離 17K 消費カロリー 535K。。?         所用時間 5時間 仏教伝来の地碑~海柘榴市~金屋の石仏~平等寺~日向神社 ~崇神天皇宮址伝承地 ~大神神社(三輪明神)~狭井神社~玄賓庵~桧原神社(元伊勢)~景行天皇陵 ~崇神天皇陵~長岳寺~大和神社お旅所(中山廃寺)~竹之内環濠集落 ~(ここから山の辺の道を外れて大和神社へお参り)~夜都伎神社~内山永久寺跡 ~石上神宮~天理教協会本部 今まで歩いていて、あまり気に留めなかったところで、日向神社。崇神天皇宮址。 天皇社。大和神社。などにおまいりしましたが、以前から気になっていた、出雲と 三輪の関係について、私なりに理解できたことがありました。 ひとまず、山の辺道の春の写真を紹介します。 崇神天皇宮址伝承地 桧原神社(元伊勢) 車谷付近の山並み 穴師付近の八重桜 万葉歌碑(柿本人麻呂) 大和神社の参道 なが~い参道の先、正面に本殿があります 石上神宮で

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海神社(垂水)

海神社はJR垂水駅と国道2号線に挟まれて鎮座されていますが、 大きな鳥居は国道の南、垂水漁港のところにあり、浜鳥居といわれて います。 海=鳥居=拝殿=本殿と続き、そして、その海神社という社名のとおり、 海に縁のある神社です。 神社の古名はアマ神社とかタルミ神社。現在はカイ神社、ワタツミ神社 などといわれています。 また別名、衣財田(エタカラ)大明神。 御祭神   正祀  底津綿津見神        中津綿津見神        上津綿津見神   配祀  オオヒルメムチノ尊(天照大御神) 御由緒   神功皇后が三韓征伐を終えて帰還の折、暴風雨のため、どうしても   御座船を進めることが出来なくなり、皇后が御自ら綿津見三神を、   お祭りになり御祈願されたところ、たちまち風波がおさまり無事に   都へお帰りになられました。   そのとき、神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに   御社殿を建て御神徳を仰いだのが鎮座の由来とされています。 神功皇后ゆかりの由緒を持つ神社は、海神社の他、航路の道すじに   長田神社、生田神社、廣田神社など、良く似た話の由来が伝わって   います。   古代の航海が天候の影響がつよく、困難が多かったことが偲ばれる   話だと思います。    航海安全・漁業繁栄・交通安全 安産祈願 水産業、農業をはじめ、水によって生活し、水によって生計をたてる人 の守護神、開運厄除けの神として祭…

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舞子六神社

西舞子の旧街道沿いに祀られています。 江戸前期の頃に、明石の岩屋神社の御分霊を受けて、この地の 総鎮守として六柱の神を祀ったのが創始と思われる。 岩屋神社は、明石港の西に鎮座し、明石城主の氏神として尊崇されています。 どちらも御祭神は同じ六柱   伊邪那岐大神   伊邪那美大神   天照皇大神   素盞男大神   月夜見大神   蛭子大神 境内末社の古い恵比寿像 なにかホッコリします

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穂蓼八幡

明石の稲爪神社に大山祇神を勧請された、越智ますみの子供である 越智武男公が、父の功績をたたえる為に、稲爪神社の辰巳の方角に 建立した越智神社が元。 この付近は、かって山陽道屈指の宿場として栄えたところで、 宝永元年(1704)には、屋敷294軒、人口1781人、本陣・旅籠61軒、 馬46匹、籠仲間80人という記録があり、その賑わいは明治まで 続いていたそうです。 古い屋敷のうだつの模様

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玉井宮。白龍神。金龍神。

玉井宮・東照宮   ご祭神 豊玉比売命・彦火々出見命・玉依比売命・徳川家康公   元、児島郡小串村大字光明崎に鎮座。 応徳二年(1085)に遷座されて   玉井宮と称す。   その伝説に、其の頃社のあった山頂より、毎夜怪光が海面を照らし、魚が   恐れて寄り付かず、漁師たちは困りそのことを神前に告げて、御神託を受けた。   すると{御幣が舞い上がり、飛んで行き、山中に落下して立つ。そこへ遷座せよ}   というものでした。   その御幣が飛来し立った所がこの地(故に幣立山という)で、社名を玉井宮、   また玉の宮と称した。   明治14年に東照宮と合祀。     さざれ石   さざれ石は、君が代の歌詞のなかで歌われていますが、小さな石が集まって   一塊の石になっているように見えます。 玉井宮・東照宮   拝殿、本殿のあります高台の周りに、鵜戸神宮・宇佐八幡・出雲大社・熱田神宮   伊勢神宮それぞれの遥拝所がありました。 白龍神 金龍神 龍神雲!?

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岡山・護国神社

快晴で暖かい陽気のなか、岡山方面へドライブを楽しんできました。 神戸~岡山市の護国神社。玉井東照宮~湯郷温泉~武蔵の里 と廻り、沢山の満開の桜、桃、つつじ、こぶし、雪やなぎなどの花を 見ながら,春爛漫を感じる気持ちの良いドライブを楽しみました。 岡山県護国神社は戊辰戦役から太平洋戦争の英霊を祀った社だそうで、 丁度、海軍の岡山県関係者の慰霊祭が行われていました。 そこで軍歌も 歌われていましたが、ほんとに久し振りに軍歌を聞きました。 こちらで引いた御神籤に   ”さびしさに 何とはなくて 来て見れば                     うれし桜の 花ざかり かな” とありました。 神の教えには「いつもにこにこ感謝の気持ち、家もあかれば、身もひかる」 とあり、 「食う事、着る事、いや生きて居る事が、自分ひとりの力でない。天地に充ち みちた神様の御かげ、社会の人の賜物である。感謝せねばならぬ。 感謝の心が湧いた時、身も心も明るくなる。その思いの消える時、 不平、不満で心が暗くなり、世の中が狭くなる。」 と、書かれていました! この護国神社のすぐ近くの小高い山に玉井宮東照宮があります。 そして、こちらの白龍神、金龍神を目指しますが、なかなか車での 上がり口が分からず、通りがかった郵便局員に聞き、なんとか お参りできました。 次回に報告させていただきます。

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稲爪神社

ご祭神   大山祇命。面足命。惶恨命。   伊和都比売命。奥津比古命。奥津比売命。宇留命 由緒   推古天皇の頃、三韓より鉄人が八千人を率いて来襲した折、討伐を   命じられた、伊予国の小千(越智)益躬は、故郷の大山祇神社の祭神、   大山祇神に祈った所、鉄人が明石に着いた時、稲妻とともに、大山祇神   が姿を現し、鉄人の唯一の弱点である足裏を射よと告げた。   これを聞いた益躬が鉄人を矢で射殺した。益躬は大山祇神に感謝して、   神が現れた地に勧請したことに始まる。   古くは稲妻大明神と呼ばれていた。 鉄人というのが良く分からないのですが、ギリシャ神話のアキレスと良く似た 話ですし、宇留命のウルという言葉にも西洋的なものを感じますね! また越智氏,河野氏、村上氏と時代は違いますが、瀬戸内海の航路を 利権にするこの地方の有力豪族で水軍を使いこなしていましたね。

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休天神社

菅原道真公が左遷され、九州に下る道筋の、菅公ゆかりの地に天神社 として祀られていますが、この地も其の一つです。 この辺りは明石の駅(うまや)があったところ。その駅の駅長の邸宅址が この神社とされています。 駅長に向けて管公が「駅長勿驚時変改一栄一落是春秋」と云われたそうです。 この言葉からは悟りにも似た、道真の気持ちですが、後に京の都を 恐れさすとは思えない心境ですね! 道真が休む際に腰を掛けたという石が拝殿横にあります。 この神社の現在は、駐車場で境内が利用され、少し荒れた感じがあります が、雛形神事が春祭りに行われているそうです。 これは、道真が身の憂いを祓うために、雛形を作って祈ったという故事に ちなみ、拝殿前で大釜に湯を沸かし、巫女が神楽を舞ったあと、最初の湯を 神前に供え、残りの湯を笹の葉の束で振りま「御湯立神事」が行われる。 人々は一年の無事を願い、人をかたどった雛形に願いを書いて、燃やす そうです。 【学問の神様 菅原道真公】著作権文化庁登録 第31781号 商標登録 取得済合格天神 みちざねくんひな人形・五月人形・こうげつ人形合格グッズ ■高さ約4cm■ どんな試験にも強い! さあ、希望校を書いてみちざねくんの中に。 合格天楽天市場 by ウェブリブログ 学問の神様、菅原道真公が眠る太宰府天満宮境内から生えた貴重な竹で作った竹炭太宰府天満宮共同企画天神の森の竹炭太宰府さんのお炭つき(携帯タイプ)竹炭夢工房 宝満窯 桜柄の錦袋の中に…

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明石から須磨までウォーキング

数日前に歩数計を購入。 ベルトにつけて歩くと、時間・歩数・消費カロリー・ 距離がわかり、これが結構励みになり、楽しく歩けます。 そこで、今日の好天気を利用して、明石から須磨まで4時間半ほどかけて、 ブラブラと歩いてきました。 歩数 20520歩  距離 12KM  消費カロリー 675.3Kカロリー 旧山陽道(現国道2号線)に沿って途中のお宮さんに立ち寄り、お詣り しながらユックリ歩きました。 明石~大蔵谷~朝霧~西舞子~舞子~垂水~塩屋~須磨 途中のお宮さん、旧跡   休天神社=稲爪神社=穂蓼八幡宮=舞子六神社=海神社   須磨の敦盛塚=安徳帝内裏跡 ひとまず写真をアップしておきます。詳しくは後日別記します。 子午線通過標 休天神社 稲爪神社 穂蓼八幡神社 大蔵谷の古い民家 舞子六神社 西舞子の海岸から淡路方面 舞子の移情閣 海神社 敦盛塚 安徳帝内裏跡 京ことばで綴る源氏物語::須磨流謫 須磨/明石楽天ブックスアーティスト:北山たか子(KITAYAMA TAKAKO)/中井和子(NAKAI KAZUKO)レー楽天市場 by ウェブリブログ 【古本】須磨明石殺人事件/内田康夫ユーブック楽天市場店作者:内田康夫初版発刊月:2003年10月文庫小説 約15x10cmISBN:4334735622楽天市場 by ウェブリブログ ビクター落語初代 橘…

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八咫の鏡発掘地から岡山・勝山のれん街道へ

好天気に誘われて、13日の予定を変えてドライブがてら真庭市の勝山まで 行きました。(12/8) 神戸から神明・加古川バイパス・姫路バイパス~2号線~373号線 を通り、上月から179号線で作東から中国自動車道に乗り、 津山を過ぎ、落合JCTから米子道~久世で降りて勝山まで3時間程で到着。 兵庫県の上月から岡山県の作東に入り、少し行くと、道沿いに 「八咫の鏡、発掘地」という看板が目に入り、すぐさま寄り道しました。 勝山は、江戸時代の明和年間(1760頃)に、三河から三浦氏が城主 として入部し、23000石を領し、明治4年の廃藩置県まで続いた城下町です。 今も、出雲街道沿いに、風情ある町並みが残っています。 天気は良かったのですが、車から降りると、神戸などより体感的に2~3度 低い感じで、清冽というような空気感がしました。 旭川に沿ってさほど広くない地域に、武家屋敷、商家、造り酒屋が残り、 なまこ壁、連子格子の懐かしい風景です。 戦時中には谷崎潤一郎も一時疎開していたということですし、旭川に面したところ には、運送に利用された高瀬舟の発着場所がありました。 また12年前からは『のれん』を活用した町興しがはじまったそうで、多くの家の玄関 に、それぞれ個性ある『のれん』が懸かっていました。 この『のれん』を見ながら、町並みを散策する観光客も多いようです。 少し離れたところにある神庭の滝は、宮本武蔵や八つ墓…

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伊勢神宮の別宮・14社

前回に皇大神宮(内宮)の別宮として、瀧原宮と伊雑宮に御参り しましたが、伊勢神宮は、天照大御神をお祭りする皇大神宮(内宮)と 豊受大御神をお祭りする豊受大神宮(外宮)を御正宮として14の別宮 と109の摂社、末社、所管社を合わせて125社の宮社からなっているそうです。 別宮としては、内宮十社。外宮四社で以下のお社です。 皇大神宮(内宮)の別宮    風日祈宮(かぜひのみのみや) 級長津彦命(しなつひこのみこと)                        級長戸辺命(しなとべのみこと) 天候、特に風雨の神。風雨が順調で五穀豊穣を司る。             元寇の役の折に、神風を吹かせたそうです!     荒祭宮    天照大御神荒御魂 皇大神宮第一の別宮    伊佐奈岐宮 イザナギノ尊 三貴神の父神    伊佐奈弥宮 イザナミノ尊  三貴神の母神     月読宮    月読尊 天照大御神の弟神                                           月読荒御魂宮 月読尊荒御魂    倭姫宮    倭姫命  天照大御神の御杖代。垂仁天皇の皇女。    伊雑宮    天照大御神御魂    瀧原宮    天照大御神御魂    瀧原宮竝宮 天照大御神荒御魂  豊受大神宮(外宮)の別宮    月夜見宮   月夜見尊             月夜見尊荒御魂    風宮  …

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直島。アートの島

先日、岡山の宇野港から直島へ、そして倉敷と行ってきました。 直島は今回が初めてでしたが、宇野港からフェリーで20分ほどの距離 ですが、行政上は香川県だそうです。 この直島へのフェリーには若者と外人さんのお客さんが沢山乗って いました。 私は、全然知らなかったのですが、直島といえば、今やアートの島として 国の内外を問わず、良く知られているそうです。 ベネッセとか安藤忠雄とかいう言葉を良く聞きましたし、地中美術館という 施設があるそうです。 私達は、知人の染色作品の展示が、この直島の古民家で行われているとの ことで見に行きましたが、島の風情のある狭い道路を、若者が数人で歩いていたり、 古い一眼レフをぶら下げて、写真を撮っているおばさんがいたり、 なかなか気持ちの良い雰囲気が出来ています。 地図を見ると、フェリーが着く、宮ノ浦エリアの他、積浦(つむうら)エリア、 琴反地(ごたんじ)エリアなどの見所があるようです。 今回、すぐに倉敷の方に向かうために、ゆっくりと島の見学は出来ません でしたが、もう一度ゆっくりと滞在したいという思いを強くして、後ろ髪を 引かれる思いで宇野港に戻るフェリーに乗りました。 暖かい季節にゆっくり島内を歩いてみたいと思いました。

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神仏霊場巡拝の道

今日、九月八日、近畿で有名な151社寺を結ぶ新しい 巡礼ルートが始まり、神職僧侶が伊勢神宮を参拝したという ニュースが出ていました。 ルートは伊勢神宮から金剛峰寺、東大寺、住吉大社、 円教寺、清水寺、などをめぐり延暦寺が終点だそうです。 江戸時代のお伊勢参りでは、行き返りに各地の 社寺に巡拝していたそうですが、明治の神仏分離で 神社と寺院が分離されてすたれていたのを、今回 社寺が協力して伊勢神宮への新たな巡拝の道を提示して 神と仏が和合してきた日本の信仰の在り方を再興して、 5年後の伊勢神宮の遷宮にも関心を示してほしいとの事だそうです。

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地主神社

先日、京都の清水寺に行った折に、境内内に祀られている 地主神社へお参りしました。 何でも、毎日のお守り交付(販売)が日本一とかで、縁結び、 特に、女性が恋愛の縁を求めてこられることで有名です。 狭い境内に沢山の縁結び(恋愛・開運・金運・出世運等など)の ご利益崇拝ポイント?沢山在りました。 なにか女性誌を見ているような、男の理解しづらい雰囲気がありますが それが多くの女性を引きつけているのだと思うような場所でした。

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美作・宮本村 讃甘神社

今日は、秋の空気を感じながら美作(岡山)宮本武蔵の里まで ドライブしてきました。 竜野から佐用、平福(武蔵がはじめて決闘した場所が在ります)を通り クアガーデン武蔵で温泉にはいりました。 讃甘神社 讃甘神社は宮本武蔵の生家近くに在り、ここの祭りの太鼓をたたく バチ捌きを見て、二刀流のヒントを得たという伝説が在ります。

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太宰府天満宮

ご存知菅原道真公をご祭神にお祀りされています。 西鉄太宰府駅にて博多のYさんとお会いし、Yさんの案内で ぶらぶらとみやげ物店が並ぶ参道を歩いて天満宮をお参り しました。 鳥居をくぐり楼門前の池には朱塗りの太鼓橋が三つ架かって いますが、ガイドさんの説明を聞いていますと、過去・現在・未来 を象徴しているそうです。 太宰府のご本殿は、菅公のご墓所の上に社殿があり、その 神霊を奉祀するために建てられているそうです。 京の中央政庁で右大臣まで出世されたのが55歳の時。 左大臣藤原時平の讒言で太宰府へ左遷されたのが57歳の時。 そして、亡くなられたのが59歳の時。 無実の罪で失脚させられたその失意のまま、僅か2年で 亡くなられたのであるが、その後、京の都では天変地異が 重なります。 つまりは道真公の怨霊が都を襲っているということから その怨霊を鎮めるために造られたのが各地の天満宮 です。 この墓所の上にご本殿がある太宰府天満宮はまさに 怨霊鎮めの場所ですね。 太宰府では丁度、菖蒲の花が池の中に沢山咲いていました。 >

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書写山円教寺・白山権現

今日。姫路の書写山円教寺に行きました。 数年前にトム・クルーズ主演の「ラストサムライ」のロケ地として有名になりましたが、 千年以上前、性空上人開山の聖地として、西の比叡山と云われています。 今は、ロープウェイでお参りされることが多い西国33観音霊場ですが、昔より 6本の参道が在ります。 東坂・西坂・置塩坂・鯰尾坂・六角坂・刀出坂の6本ですが、今日は東坂の 岩場のような坂道を楽しみながら登り、帰りは西坂を下りました。 東坂を登りきると、ロープウェイの山上駅より山門までの参道脇には三十三観音 の像が祀られてありました。 山内に入り、摩尼殿をお参りしたあと、裏手の自然歩道を登り、白山権現の 小さなお社から、大講堂・食堂・常行堂を見ながら、奥の院、そして法華堂などを お参りしました。 書写山は瑞雲に導かれた性空上人が登り、庵を結んだのが始まりですが、特に 白山権現で悟りを開かれたということです。 そして、この白山権現の地は神代時代にスサノオの命が出雲に神くだられる折に 、此の地を特に気を留められて一晩お泊りになられたということから、何時の頃からか 白山権現をお祀りされたため、「スサノオのやま」が「すさやま」になり「しょしゃやま」 になったとか、インドのお釈迦さんの霊地、霊鷲山と書き写したように形が似ている 山から書写山と呼ばれたとか云われています。 性空上人について「大日本法華験記」には『人は通わず、鳥の声もきこえない 深い谷に庵を結び、食べる事に心…

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難波大社 生国魂神社

普段、自宅近くを1時間前後散歩しているのだが、今日はちょっと気合を 入れ、天王寺から谷町筋~~御堂筋を経由して梅田まで歩いてきました。 約3時間程でしたが、汗をそれほどかくことも無く割りと気持ち良く歩けました。 途中、生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)がありましたので参拝させていただきました。 生国魂神社の御祭神は、 生島大神 足島大神 大物主大神 御神徳は、 生成発展 五穀豊穣 健康長寿 縁むすび 社運隆昌 家内安全       生島・足島大神は国土・大地の守護神であり、大地に生を受けるもの       すべてを守護される広大無辺の御神徳がある。 境内社に皇大神宮・住吉神社・天満宮の他       鴫野神社(女性の守護神)       浄瑠璃神社(芸能上達の神)       城方向八幡宮(勝運・方除けの神)       家造祖神社(土木・建築の神)       鞴神社(金物・カマドの神)   社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった際、現在の 大阪城付近に生島大神・足島大神を祀られたのが創祀と伝えられる。 古代には難波の海は、今と異なり、かなり奥まで海が入り込んでいたようで その為、生島・足島という神の名も、入り江に浮かぶ小島のような印象を 受けますね。 そしてそこには、航海してきた船がホッとできるような 良い船着場のような場所があったのかも知れないですね。 ただ、記紀神話によると生島・足島の神は日本列島(大八島)に宿る神…

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天河大弁才天・柿坂宮司

今日(18日)、レイドウ・カルナ・セイキム・現代などの霊気を教えて おられる方、それに和らぎの会(レイキ)、真気功、西野流気功などを 学んでおられる方と三人で天河大弁才天へお参り、及び観気を兼ね 行ってきました。   途中、どういう訳か、旧道に迷い込み川沿いの狭い道路を、対向車の こない事を祈りながら天川に向かいました。 天河大弁才天社ではまず禊殿までの道を聞き、弁財天様のお参りを する前に禊殿をお参りしました。 禊殿は二つの川が合流するところに在りましたが、数段の階段をあがり 鳥居をくぐると驚いたのが立派?な数多くの玉石が敷き詰められてあり ました。 そして、その場のエネルギーの強さにも驚きましたが、後で聞いたところ では、この禊殿の後ろに控えている高倉山がご神体であるとのことでした。 しかも、この山は水晶(石英?)で出来ているということでした。 天河大弁才天は今までにも何度かお詣りしていますが、何時来ても 御神殿前では深い呼吸が自然とできるようなゆっくりとした時間が 流れているように感じます。 私達も十数分でしたが瞑想気分で時間を過ごした後、本殿へ上がる 階段横のお社と石(封印石?)のところで手をかざしてエネルギーを感じたりして 過ごしたのち、社務所で御朱印をお願いしていると宮司さんが何故か どうぞお上がりくださいとしきりに勧めてくださいましたので、遠慮もせずに 奥に通していただきました。 この方が有名な柿坂 神酒之祐宮司さんでした。 …

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高野山、町石道

久し振りの高野山から九度山への森林浴を楽しんできました。 神戸を朝6時に出たが、出発点に選んだ一町石のある根本大塔を 出発したのが10時40分頃で目的地の南海九度山駅に着いたのが 午後4時30分でした。 高野山町石道は2年前の夏に、九度山からの登りにチャレンジしたが 体調不良で笠木峠でリタイアし上古沢駅に下った(これも結構きつかった) 苦い思い出があります。 今回は天候や時間を考えて高野山からの下りを選びました。 今日はあいにくの雨になり、大門からず~っとしとしととした雨、 合羽で大助かりという天気でしたが、一町(約109M )ごとに 存在感を持って立っている町石 の一体、一体の変化を楽しみ また励まされながら快調に歩く事が出来ました。 大門から町石道に入るところに、熊注意の標識がありましたが 幸いにも熊には出会いませんでしたが、後方より突然、マウンテンバイク が現れてビックリしました。 町石道のまわりの杉林は山の湿気のためか、緑青のような色を したこけでつつまれていましたが、時代は違ってもはるかな昔 この道を多くの人が歩き、そして何より、弘法大師その人が 歩いたという、空気感のようなものを一人で楽しみながら 雨も気にならずに歩きました。 途中、丹生都比売神社に降りる道があり、一度はお詣りしたい 神社ですが、今日は残念ながら遠く町石道の二っ鳥居から 参拝するだけにしました。(120町) 150町を数町過ぎた辺りから一挙に眺望が開け、…

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