平 忠度の腕塚・胴塚

長田の駒ヶ林の海岸近く。 住宅に囲まれた中に一ノ谷の戦いに 破れ、落ち延びる途中、この駒ヶ林で命を落とした平家の武将。 薩摩守平忠度の腕塚と胴塚(首塚)が祀られています。 忠度の最期  薩摩守忠度は西方面の大将軍であったが、百騎ばかりの中に守られて、 静かに落ち延びようとしておられたところへ、武蔵の国の住人、 岡部六弥太忠純が良い敵だと目をつけて、馬を飛ばして追いかけて来て、 「名の有る大将軍とお見受けいたす。見苦しくも敵に後ろを見せなさるな。 返されよ。」と声をかけた。 「これは味方だ。」と振り返った兜の内をよく見れば鉄漿をつけている。 「味方に鉄漿をつけた者などおらぬものを。やはりこれは平家の公達で あられるな。」とて馬を並べてむんずと組む。 これを見て、百騎ばかりの護衛は、所詮諸国からの寄せ集めの悲しさ、 一騎たりとも加勢しようとせず、散り散りに逃げてしまった。 薩摩守も熊野育ちで力は強く、武芸にも秀でている。 六弥太をつかんで「憎い奴め。こちらが味方だと言っているのだから 言わせておけばよいものを。」とて馬の上で二太刀、馬から落ちた所で 一太刀あびせたが、いずれも鎧兜に阻まれて致命傷にはならなかった。 ならばと取り押さえて首を取ろうとなさった所へ、遅れて馳せ来たった 六弥太の従者の少年が馬から飛び降り、太刀を抜いて 薩摩守の右腕を肘の所からばっさりと打ち落とした。 薩摩守は今はこれまでと思われたのか、「しばらく退いて…

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『島守』 の広場

須磨寺の参道沿いに最近『島守』の広場ができました。 この『島守』の広場は、  太平洋戦争末期、沖縄戦当時に沖縄県知事を務め、県民の為に  尽力した島田叡(あきら)氏の功績を伝えるために、島田氏の  生家近くに神戸市民・須磨寺さんなどの尽力で今年の三月  「島守の広場」を造成し、顔写真と共に、功績を伝える銘板を  設置したものです。 島田 叡  1901年神戸市生まれ。東京帝大を卒業後内務省に入り  大阪府内政部長から、45年1月沖縄に官選知事として赴任。  「俺が断ったら誰かが行かなならん」と、死を覚悟して内示を  受け入れたという。  着任すると機能不全に陥りかけていた行政組織を立て直し、   内務官僚で県警察部長だった荒井退造氏と力を合わせ、食料確保  や、県民の疎開に従事。 10万人以上の命を救い、今も県民  から『島守』と慕われている。  激戦の地となった糸満市で同年6月に消息を絶った。 壕の中で  亡くなったとみられるが遺骨は見つかっていない。

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西宮戎神社 漂着えびす神像

西宮戎神社で漂着した恵比寿神像がお祀りされているということで 参拝に行って来ました。 表大門 大練塀 境内の様子 漂着神像が祀られている社務所   えびす廻しの木偶 徳島・三代目天狗久作 <漂着恵比寿神像> このえびす神像は、令和4年6月1日に、大阪築港(天保山)に流れ着いた もので、釣りの愛好家が大きなチヌ(黒鯛)に導かれてたどり着いたところ (港住吉神社の前)で救い上げ、自宅でお祀りしていたところ、ご縁があり 西宮戎神社へ奉納されたものです。 数々の絵馬

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白毫寺 七福神

丹波の古刹、白毫寺に立ち寄ったところ、大きな石造の七福神さんが ありましたので紹介します。 大黒天神  厚く信仰すれば子孫七代にわたり、富・財・福が授かる 福禄寿神  福星・禄星・寿星 三星の精をもって学力を授かる       人望福神 寿老人神  長頭・短形・最黒相 亀を愛し鶴を懐く       鶴千年 亀万年 長寿福神 布袋尊神  自称 弥勒菩薩の化身となり 弥勒の分身は       千百億あるから 時に応じて救済する大量福神 弁財天神  サラスヴァティという水の神 豊かな実りは       金運や財運とつながり福徳自在にご利益がある敬愛福神   毘沙門天神 世界中の富と不死の生命を与える幸運の威光福神 恵比寿神  商家や事業家、水商売、一般家庭の者まで       毎年一月十日の戎参り福神

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一の谷磨崖不動尊 潮音寺

一ノ谷の古戦場。 一の谷川と赤旗川の合流地に梵音山潮音寺があります。 そのお寺の境内のお堂の中に不動尊磨崖仏があります。 この不動尊磨崖仏は、旧藤田男爵が大正初期に須磨の別邸に奈良方面より 運び込んであったものが、昭和13年7月の阪神大水害で押し流され、大量の 土砂とともに、一の谷川の河口近くに埋まっていたのを、神戸元町の 永田良介商店の方々はじめ、信仰ある人々の手により掘り起こされ、潮音寺 建立に伴いお堂を建立して安置された! 一の谷不動磨崖仏   高さ 2.7M  幅 2.42M   厚さ 0.61M の岩   中央に 高さ 1.79M 幅 1.03M の不動尊   右面に刻銘があり   「奉造立 暦応四年(1341ねん)二月 大工 藤原 行有    勧進 乗行房 行識房 慶原房」 一岩石六地蔵 板 碑  名号板碑  両界曼荼羅

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小浜宿

宝塚の小浜地域は、中・近世に栄えた寺内町の面影を残していた地域 でしたが、阪神淡路大震災で大きな被害を受けました。 古い家屋の多くが倒壊し、随分と面影は消えましたが、消えた面影を 探して歩きました。 小浜地域は15世紀末に豪摂寺(ごうしょうじ)の寺内町として発展し、 江戸時代には大阪・京都・有馬・西宮を結ぶ交通の要衝であったことから 宿場町として繁栄し、酒造りや大工の町として知られていた。 旧和田家住宅   市内に残る最古級の民家   地震で倒壊したのを復元された 小浜皇大神宮     天照皇大神と天児屋根命を祀る 玉の井 小浜宿資料館 豪摂寺 首地蔵  首から上の病気にご利益があると言われている。 明治初期の大関 谷風岩五郎のお墓

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売布(めふ)神社

清荒神から住宅街を歩き売布神社(めふじんじゃ)を目指します。 売布神社 推古天皇18年(610年)の創建と伝える。 下照姫神は当地の里人が飢えと寒さで困窮しているのを愁い、稲を植え麻を 紡ぎ布を織ることを教え、その後豊かになった里人が下照姫神を祀ったと いう伝承が残る。 米谷村の由来もこの伝承にちなみ、米種(まいたね)か売布谷(めふたに) が転訛したといわれている。 豊玉姫をお祀りしているお社には龍神さんが控えていました 豊玉神社

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清荒神

連休の一日。 快晴の好天気の中、清荒神~売布神社~小浜宿と 歩いて来ました。 清荒神の風景です。 護法堂拝殿 荒神影向の榊 役行者(神変大菩薩)堂 仏足石 本堂  弘法大師・大日如来・不動明王 龍王滝・不動明王

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須磨寺亜細亜万神殿法要

須磨寺の亜細亜万神殿で、平成27年4月のネパール震災復興祈念及び 物故者追悼法要が執り行なわれました。 2015年4月25日。 マグニチュード7.8の地震でおよそ9000人の犠牲が 出たと言われています。 御詠歌奉唱と僧侶の読経がありました。

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明石城お花見散歩

今年は穏やかな日が続いています。 私も杖をつきながら明石城を散歩して来ました。 天守台跡 人丸塚 武蔵庭園 荘川桜

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須磨寺の桜

今年も桜咲く良い季節になりました。 須磨寺の桜を楽しんで来ました。 源平の庭   若木の桜 「源氏物語」第12帖<須磨>には、光源氏が桜を植えたことが記され、  原文では、「須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし  若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづの  こと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり。」と書かれています。  ■植櫻記碑(神田兵右衛門句碑)     この句碑は植櫻記碑と呼ばれ、一番左手には神田松雪(神田兵右衛門)   の俳句が記されています。         花千母登        昔稚木乃           さくら哉  明治24年に建立された句碑ですが、当時須磨寺は度重なる天災や人災に  より多大な被害を受け、著しく荒廃していました。  当時の住職が須磨の境内へ民を迎える工夫をすることを決意し、  神田兵右衛門へ助けを求めました。  その際「作楽帳」という寄付帳をつくり一人一本桜の若木の寄付を行ない、  結果千本もの桜が須磨寺に集まり、「新吉野」とまで言われる桜の名所が  誕生しました 須磨大池 正覚院 良寛句碑   すまてらの むかしを問えば 山桜                  沙門良寛

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神戸の旧居留地散策

神戸の三宮から元町にかけての海側は神戸外国人居留地として利用 されました。 明治元年の開港時から整備され、貿易の窓口として栄えたところです。 その当時、海沿いの居留地が貿易などのビジネスの場所となりましたが、 山手の北野の地は居住地として発展し、今も多くの異人館が残っています。 居留地は明治32年に日本に返還されましたが、大正から昭和初年にかけて 造られた近代洋風建築物がレトロな雰囲気と共に重厚な姿を残しています。 今日は、その居留地の建築物などを写真に納めてきました。 旧居留地100番 高砂ビル(1924年) 居留地124番の碑 日本真珠会館(1952年) 神戸市立博物館(旧横浜正金銀行神戸支店 1935年) 旧居留地15番館(旧米国領事館 1880年明治13年) 日本最古の西洋式下水道(伝染病の予防に大きな力になったようです) チャータードビル(旧チャータード銀行神戸支店 1938年) 商船三井ビル(旧大阪商船神戸支店 大正11年) シップ海岸ビル(旧三井物産神戸支店 大正7年) 神戸メリケンビル その他 付近のスナップ 回転ドア他

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乙姫大明神

今迄にも二度ほど記事にしましたが、久し振りに平清盛にゆかりがあるという 乙姫大明神の竜宮城を参拝しました。 以前(2018年7月14日)にも記事にしましたが https://singon1koumyou.at.webry.info/201807/article_3.html その時から神社の様子はあまり変わってはいませんが、現在の様子を写真で 紹介させていただきます。 小さな神社ですが、江戸時代には明石藩の松平公が力を入れていたようで よく知られていたということですが、今は知る人も、参拝する人も少ない 様に思います。 神社の近くの上には高速道が走っています

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須磨の綱敷天満宮さんの梅

須磨の綱敷天満宮さんの梅が綺麗に咲いています。 少し前までは受験生の合格祈願での参拝が多かったようですが、 今日は天気も良く大変暖かい陽気の中、カメラ片手で梅の花を 楽しむ人が多く来られていました。 【須磨 綱敷天満宮さんの梅】

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須磨寺の梅と句碑

須磨で梅と言えば綱敷天満宮さんの梅が良く知られていますが、 須磨寺さんにも本坊前に少しですが枝垂れの梅が咲いていました。 また、源平の梅と言われる紅白同株の梅がありますが、まだ蕾でした。 あと、数日すると綺麗に咲いてくれるものと思います。 須磨寺境内にはたくさんの句碑が見られますが、本坊付近の句碑を 紹介しています。 源平の梅 (まだ蕾です) 句碑   須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇                    松尾 芭蕉   月すみて 松風すみて 須磨の浦                    旭 叟史   ひとすじに こころこめたる ことなれば              ちよのしらべも たえじとぞおもふ                    真鍋 豊平   笛の音に 波もよりくる 須磨の秋                    蕪村

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第837回 敦盛祭

須磨浦公園の国道二号線沿いに地元では平敦盛胴塚と呼ばれている大きな 五輪塔があります。(実際は源平兵士を弔う、集め塚だそうですが) ここでは例年、三月の第一土曜日に須磨寺が主催する「敦盛祭」が行われて います。 今年は、一ノ谷の合戦 (旧暦寿永8年2月7日。1184年3月20日)で 16歳の若さで亡くなった敦盛卿の837年目でもあります。 残念なことにコロナの影響で列席者も少なく、寂しい敦盛祭でした。 敦盛と直実 須磨寺管長さん、須磨寺僧による読経    南無源平戦士 南無敦盛空顔憐清 須磨琴(一弦琴)の演奏 御詠歌の詠唱 源平(敦盛)そば

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昭和レトロな須磨浦山上遊園

山陽電車の須磨浦公園駅からロープウェイに乗り、鉢伏山の須磨浦山上遊園を 歩いてきました。 1957年に開業した当時は、阪神間からの観光客で大賑わいしたというのは 昔の話。  今は訪れる観光客も少なく、遊ぶ子供もいない昭和のゲーム機が 時代の流れを感じさせていました。 須磨浦公園のロープウェイ   以前ならハイキング気分で歩いて登るところですが、現在は   膝の具合が悪いため、片道500円でロープウェイを利用です。 須磨浦山上からの景色 世界一乗り心地が悪いと噂のカーレーター 片道200円也の切符を買って、いざカーレーターへ   (ブラタモリでタモリさんも乗っていましたね!) 1台のみのピンクの座席。 カップルに人気だとか!? レトロな山上展望閣   懐かしい ジュークボックス      ブラタモリ 懐かしいインベーダーゲーム 観光リフト 鉢伏山から旗振山へ向かう 旗振山の延命地蔵堂 旗振毘沙門堂 青葉の笛広場日時計 サイクルモノレール 山上遊園は梅林や噴水ランドを含め、もう少し塩屋方面に広がっています…

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海運山 満福寺 (長田区)

国道二号線に面している。  福原西国 第五番 札所 お寺を取り囲む石垣の様子から、地元では『亀の甲寺』とも 呼ばれているそうです。 曹洞宗の古刹。 本堂 海運山 満福寺 曹洞宗  【三福橋の由来】  【道元禅師御歌】           いたずらに 過ごす月日は多けれど                  道を求むる時ぞ少なき 仏足石 ? このお寺周辺も阪神淡路大震災では大きな被害を受けています

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阪神淡路大震災慰霊追悼法要 須磨寺

今日、1月17日は阪神淡路大震災から27年目になります。 その間、東北沖の大津波では、TV画面越しに、押し寄せる津波と 倒壊する家屋の映像など、更に絶対安全と言われていた原子力発電所 の爆発など阪神淡路大震災とはまた違う大きな衝撃を受けました。 また、昨日はトンガ沖の海底火山の噴火。 日本では東南海沖の地震が危ぶまれていますが、数百年に一度 あるかないかと言われている大災害が頻発しているのには驚きます。 東南海沖地震もさることながら、富士山の大噴火なども心配に なってきました。 今日は須磨寺で、阪神淡路大震災の物故者の慰霊法要が行われていました ので、私も参列させていただきました。 管長さんと六名の僧侶で1時間ほどの法要でしたが、一般の参列者が 私を含め、7~8名と少なく、27年と言う時間を感じました。 今日の朝日は虹色に見えています 阪神淡路大震災物故者追悼碑 本堂 お前立 六観音さん 客殿 客殿での法要終了後、震災物故者追悼碑前での法要 観音池(亀の池) 初大師

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