穂蓼八幡

明石の稲爪神社に大山祇神を勧請された、越智ますみの子供である
越智武男公が、父の功績をたたえる為に、稲爪神社の辰巳の方角に
建立した越智神社が元。
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この付近は、かって山陽道屈指の宿場として栄えたところで、
宝永元年(1704)には、屋敷294軒、人口1781人、本陣・旅籠61軒、
馬46匹、籠仲間80人という記録があり、その賑わいは明治まで
続いていたそうです。

古い屋敷のうだつの模様
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この記事へのコメント

  • シーター

    鉄人28号(笑)は朝鮮半島からきたとすると、朱蒙(チュモン》で見た、鉄騎軍かもしれない。鉄の剣・鎧・印璽が三種の神器になってました。そういえば、鎧で隠せない足の裏を狙えなんて言っている場面がありました。
    日本にまで領土拡張に来ていたのか(。-`ω-)ンー
    しかし、今昔物語にも出ている越智氏を知らないでいたのは勉強不足でした! 
    うだつがあがらない、うだつはどれをさすのかもうひとつわからない何も知らない私σ(o・ω・o)でぃす♪

    2009年05月03日 01:56
  • ポジティブオーラ

    朱蒙、鉄騎軍ですか?良く似た話ですね。
    どういう歴史的な出来事があったのか?
    九州から、この明石辺りまで、朝鮮の
    軍隊が攻めてきたという事のようですね。
    神功皇后や斉明天皇が朝鮮を攻めると
    いう話は残っていても、攻めてこられる
    という話は封印されてしまったのかも
    知れないですね。
    2009年05月03日 17:36

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