保久良神社から金鳥山へ

残暑が厳しい中、なにを思ったか、日頃の運動不足で眠った体を
目覚まそうと考えたのか、それとも暑さとストレスで頭がおかしく
なったのか、35度を超す炎天下をものともせずに歩いてきたので
あります。

阪急岡本駅の北出口から東へ向かい、鷺森八幡宮を参拝して
から保久良神社参道を目指して歩きます。

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このお宮さんは保久良神社の境外末社ということで
八幡さんなので、御祭神はもちろん応神天皇なのですが
天照皇大神と春日大神。そして多くの神さまも合祀されて
おられます。

保久良神社参道入り口付近
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この参道入り口から神社まで舗装された道をヒイヒイ言いながら
上りましたが、上からはお年寄りの夫婦連れが軽快に下りてこられ
ています。
神社までは15分ほどの上りですが、ご近所の方たちが毎日登山など
手軽に楽しんでおられるお山です。

「灘の一っ火」として有名な灯篭が神社の鳥居の前から東灘の海を
見ています。
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神社を取り巻く境内はヤマモモの樹木が多く、そして古代から信仰の
対象だった磐座が沢山見られ、不思議な空間を形成しています。
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鳥居をくぐり本殿に向かう参道が一直線に伸びています
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参道から二・三段高くなった境内奥に本殿があります
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神社の由緒書き
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境内の右手の末社
  祓御神社  天照皇大神と春日大神を祭る
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境内左手の磐座(立岩)
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この「立岩」のそばに立てられていた説明板に拠りますと
 
  磐座 古代祭祀遺跡地
 
 「ほくら」の境内には大きな岩がたくさんあります。
 この岩は「立岩」といわれ、神様に祈る為に人々が立て起こした
 祈願岩の一つです。

 社務所の裏の大きな岩は「神生岩」と呼ばれております。
 神社の建物の裏の岩群を中心に境内にかけて大きな円形状に
 大岩が配置された岩群は「磐座」とも呼ばれ「磐境」とも言われます。

 昔の人は、大きな岩に常世の国より神様をお招きして、農業生産、
 諸業繁栄、村里安全をお願いいたしました。

 ・・・祈るときに使用された「つぼ、かめ、さら」などの土器片や
 「やじり、おの」の石器も多数出土しております。
 それらは弥生時代中期のものと認定されています。

 「ほくら」の磐座は大和の大神神社の三輪山山頂にある「磐座」と
 同じ時期のものといわれております


境内には社務所も有りますが、普段は閉め切られています。
街中の神社とは一味も二味も違った空気感があるところです。
さらに【神生石】という磐座も
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先ほどの「ほくら」の古代祭祀遺跡の遺物から、ここで祭祀が
行われていた時代と大和の三輪山で磐座祭祀が始まったのが
同時代だという考察は興味のあるところです。

[なぜなら、私的に結論付けると、保久良神社のご祭神にみる
須佐乃男命・大歳御祖命・大国主命・椎根津彦命
この出雲系の国津神と三輪山の大物主と呼ばれる神が
「ニギハヤヒ」でつながるように思えます。
特に詳細な論考をする力も資料もありませんが、一個人の
感覚的なお話ですということで・・・・・]

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以下保久良神社宮司の猿丸さんの話を引用します。

弥生時代から続く信仰の地

社殿を取り巻いて、磐座(いわくら)・磐境(いわさか)と呼ばれる巨石が
約50個点在する。ストーンサークルの一種と考えられる。
自然の石もあれば人工的に動かした形跡も見受けられる。

昭和13年の社殿改築工事の際には石斧や銅戈、鏃、土器などが出土し、
遺跡の認定を受けた。
出土したものは紀元前2~300年頃の祭礼用のもので、その頃から人が
居住し、祭祀を行ってきたことが立証されている。

■航海の道標として親しまれた「灘の一つ火」

保久良山は東六甲で一番海に突き出している山で、海からよく見える。
神社の灯篭は「灘の一つ火」と呼ばれ、大阪湾の航海の道標として親し
まれた。
古くはかがり火を燃やし、平安時代の頃からは灯篭に油で火を点じた。
現在では防火上の理由で電灯になっている。

2.保久良山の信仰と姿

■神武東征を嚮導した椎根津彦が祭られている

保久良神社のご祭神は須佐之男命と大歳御祖命、大国主命、椎根津彦命。
椎根津彦は、古事記・日本書紀によれば、神武天皇の東征のとき瀬戸内海
を海路で大阪まで先導された方。
その功績により、「倭宿禰(やまとすくね)」の名をもらった。

■海上交通の灯台として保久良神社ができた

椎根津彦は海の神様で、瀬戸内海の航路を知り尽くしていた。
海上交通の安全を確保するため、大阪湾の海辺に突き出していた金鳥山を
目指し、青亀(現在の青木)で上陸して、磐座を設けたのが保久良神社の
由来だと思われる。

■保久良は祖先をお祭りしたところ

保久良の「保」は火に由来し、火は魂という意味がある。
「久良」は庫(くら)で、祖先の神様をお祭りしたところという意味になる。
火の倉、または烽火台という説もある。
火を供給することと、航海の安全を守るということが代々受け継がれて
いった。

■金鳥山には宝物が眠る

保久良神社の社記によると、神功皇后が三韓征伐から帰られた後、
広田・長田・生田神社を祭った後、保久良に宝物を収めたとされている。
また、日本書紀の垂仁天皇の項には「神の庫」が「保玖羅」とわざわざ
書かれている。このように、保久良は昔からいろいろな形で知られていた。

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