高野山女人道を歩く(一)

猛烈な暑さも少しばかりおさまりかけたかと思われる日差しの中
高野山に上がり、女人堂から嶽弁天、大門を経て、奥の院へと続く
女人道を歩いてきました。

明治になって高野山の山内が解放されるまでは、女人禁制の修行道場
として、女性は高野山内には入ることが出来なかったために、高野山の
周囲の山道からお大師さんへの祈りを捧げるということが行われていた
そうです!

高野山まで登ってくる道中や山道の難儀を乗り越えて辿り着いても、まだ
周囲の山道から微かに見える堂宇に祈ることや、山道に数箇所設けられた
女人堂の仏像に祈りを捧げることしかできなかった女性たちの思いは
どのようなものだったのでしょうか?

今日歩いた3時間ほどの山道は、峠越えの上り下りを何度か繰り返し、
しかもかなり遠回りしているような狭く薄暗い山道が続いています。

また、所々には『 最近この付近で熊が出没しています 注意!!』
という立て札を見ると、歩いている山道の周囲にも気を配りながらの
ハイキングになりました。

そして800M付近とはいえ、この日は大変蒸し暑くて汗だくに成りながら歩き
ました。


・・・・・・・・高野山は明治五年まで女性が山内に入ることを禁じており、
そのために高野山への入り口には女人堂が設けられていた。

女性たちはそこを起点に女人道といわれる山道を通って金剛峰寺
の外側を巡り、奥の院の御廟近くを通りながら、山々の尾根伝いに
周回していたそうです。

女人堂
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小杉明神社
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この小祠の謂れは・・・・その昔、越後の国に本陣宿「紀の国屋」があり、
そこに小杉さんという娘さんがおりました。  数奇な人生を送られましたが
お大師さまに救われ尼僧になられ女人禁制の高野山に登って来られる
女性のために不動坂上に女人堂を開かれ、やさしい接待をされておりました。
その小杉さんを、女人堂の鎮守、小杉明神としてお祀りしています。

お竹地蔵
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女人堂の向かい、女人道が嶽弁天へと続く道の脇にあります。
この地蔵の由来は江戸の元飯田町の「横山たけ」と言う方が、延享2年
(1745)5月15日に建立。
横山たけさんが亡夫の供養のため高野山に登山し、女人堂で参篭している
時にお地蔵様が夢にあらわれたことから、この地蔵尊の建立を思いたった
と言われています。

弁天岳への道
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嶽弁天
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弁天岳(標高984.5m)の山頂に祀られています。
高野山七弁財天の一つ。
『紀伊続風土記』によると、お大師様が、高野山に七つの弁財天を勧請
した一つといわれ、天川の弁天で、千日参籠したときに用いた宝珠の一つを
仏法紹隆のため、この山に埋めたと伝えています。
かつて「岳の一本杉」という大木が聳え、そこには妙音坊という天狗が棲み、
社を守ったという伝承も残っています。

この天河神社の弁財天さんとお大師さんとの関わりについて、以前天河
神社の伝説としての話を聞く機会がありましたが、そこでは天河龍神との
因縁のような話がありました。 細かい話は別にして、高野山に七つも弁天
さんが御祀りされているのは、山上で水の確保が重要だという思いの
表れだと思います。


嶽弁天さんから大門へは途中の紀伊の山々を眺めながらの下り坂です。
写真は山内を望んだところです
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大門付近
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大門から道路を横切って、おたすけ地蔵の法へ歩きます。

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