吉野花見ハイキング・金峯神社

吉野水分神社から高城山展望台を経て、奥千本の金峯神社を目指して
歩きます。

牛頭天王社跡
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この牛頭天王社跡の左側前方の丘を登ると高城山の展望台があり
大阪方面の二上山から葛城金剛の山並みを望めます。
休憩所も在りましたので、少し遅い昼食を食べました。

暫しお昼休憩のあと、金峯神社を目指して歩き始めます。
少し歩くとバスの発着場がありました。 お花見の観光客の人はバスが
便利ですね。


閼伽の井
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金峯神社境内への入り口には、大峰奥掛け修験道の『修行門』という扁額
が掛けられた鳥居がありました。
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ここから舗装された長い坂道の上が金峯神社です

金峯神社
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金峯神社と隠れ塔
 
この神社は金山彦命を祭る吉野山の総地主 の神で、一名金精明神ともいって
古くから信 仰を受けてきた延喜式内社です。

金峯というのは、この辺りから大峯山へか けての総称で、古来地下に黄金の
鉱脈がある と信ぜられて、宇治拾遺物語その他にも、こ の山に登って黄金を
得たという話があります。

これは仏教説話として、金峯山は黄金浄土で あるという観念から生まれたもの
です。
 
左の小道を下った所にある建物は、隠れ塔 といって、ここは大峯修行場の一つ
で、この 塔に入って扉を閉じると中は真っ暗になります。

そこで神官の先導に従って
 
    吉野なる深山の奥のかくれ塔 本来空のすみかなりけり

と唱えながら塔内を巡ります。
 
文治元年(一一八五)十一月 源義経がこの塔に隠 れ、追っ手から逃れるため
屋根を蹴破って外 へ出たため、「義経の隠れ塔、蹴抜けの塔」 とも言われています。

                                     (社前案内板)

金峯神社御神徳畧記

 よしのやま花のさかりは限りなし青葉の奥もなおさかりにて

 上千本のさくらのしげみをくぐって水分の社から爪先上りの道を登る
こと約一粁余で、金峯神社に着く。 

急坂を登ると眼下に拡がる台地は一面にさくらの青葉につつまれ、その正面
奥の木の間がくれに拝殿、左に社務所が見える。
 
春もいよいよ深まって、おちこちの花だよりも絶えるころ、この社前に名残りの
花を惜しむによく、やわらかくもえでたさくらの若葉に、たけなわの春の気を
一ぱいに味わうのもよい。

夏は標高八百米のここの土地から、涼しい深山の霊気に触れながらうぐいすの
声が聞けるここの風情は格別である。

殊に社の森一面を埋めた秋の紅葉や、ずっしりと降りつんだ雪の深山道を通り
抜けて、この神前や隠塔に七百年の昔にかえって九郎義経の心情を偲ぶのも
感また一しおである。


一、祭神 金山毘古神
 古事記によると、伊邪那岐神が火の神、迦具土神を生まれたとき「みほとや
かえて病み臥せり、たぐりに生りませる神の御名は金山毘古神、次に金山
毘売神」と記され、日本記には、一書に曰くとして「伊弉冊尊火神軻遇突智を
生まむとしたまう時に悶熱懊悩、咽ぐたりて吐したまう此れ神と化為りましつ、
名を金山彦という」とでている。

悶熱懊悩とは、枯れ悩むという意味で、昔からこの神を生物の枯死を防ぐ神と
して崇敬された外、金峯総領の地主神として金鉱の山を掌る黄金の神として
祀られてきた。

二、沿革

 創立年代は不明。吉野八社明神の随一として、恐らく創祀は奈良以前に
さかのぼるのでなかろうか。

 1.虫害排除の神としての金山毘古神

 すでに述べたように、元々金山毘古神は生物の枯死を防ぐ神である。

古代人には、高山への信仰があり、大和では金峯山を葛城山とともに
七高山の一つとして教えられた。

金峯山とは、吉野河岸の吉野山から山上ヶ岳にいたる一連の山々の総称で
あるが、昔から清浄せんような高山として尊ばれ、度々陰陽道の祭場に選ば
れた。

高山というのはただ単に高い山というだけでなく、俗塵の少ない清浄の地と
して、さらに神霊の降臨された神聖な山としてたたえられた。

三代実録を見ると、中国の前漢で害虫のため五穀不作の時に被害のあった
州や県内の清浄な処を選んで、害虫を壤う祭典を陰陽寮に命じて行わせた
といういわゆる薫仲舒の祭法にならって、清和天皇が貞観元年八月三日と
同五年二月一日に勅使や陰陽博士に命じて大和国吉野郡高山で虫害を
解き壤う祭事を行ったとでているが、この神社で行ったものである。

現にこの神社を中心に、社のすぐ東北方の陰塔付近や南西の愛染宝塔など、
一帯に残る広大な屋敷跡は、平安朝期に数多の寺院堂塔が建立されて
都の人々の高山信仰の中枢地として尊崇された清浄な霊域として栄えていた
往事を偲ぶに十分である。

 2.金峯山の地主神としての金山毘古神

 金峯の神は一名金精明神とも呼ばれ、金峯山一連の峯々の地主神として、
金鉱を守護して黄金を司る神であった。

金峯山については金鉱のある山として、鉱脈の存在を意味する宝の山として
早くから世人に知られていた。

奈良朝ごろは風土記的思想が流布されて、天然資源開発への関心が強く、
鉱産物の発見や発掘が進み、金属文化の結実期だっただけに、精神的な
あこがれの地として金峯山を弥勒の浄土と見たてられたこととも関連して、
この山が若しかしたら金鉱の出る山でなかろうかとの半ば希望的推測が
いつの間にか事実であるかのように、宣伝されて、「金の峯」となり「金の御嶽」
となってきた。


義経隠れ塔

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この金峯神社付近から奥が奥の千本と言われているそうです。
ここから更に山中に入り、西行庵を目指して歩きますが、桜はまだ咲いて
いませんでした!

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