佐比江の猿田彦神社

今は全く面影は見られませんが、現在の兵庫区佐比江町や
須佐野というところには大きな入江がありました。

その佐比の入江付近は江戸の寛政頃には花街として大いに
栄えていたそうです。

しかし、明治の28~9年ごろに埋め立てられ市街地が作られ
現在に至っていまが、現在の町名で、入江・佐比江・須佐野
などの名が残っています。


この現在の佐比江の街角に小さな神社がありますが、それが
猿田彦神社です。

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猿田彦大神は魁の神として常に神々の先頭に立って道案内を
務められる神で、天孫降臨の時、皇孫瓊瓊杵尊を天八衢に立ち
向かえ云々とあり、災難除けの信仰がある。

即ち海上では船霊神、路上にあっては交通の守護神として
衆庶の尊崇が厚い。

 当社の創立はつまびらかではないが口碑によれば、元矢田郡
白川村に鎮祭されていたが、平清盛福原に都を定め、兵庫築港
に際し七日七夜の参籠の後、祈願を込めたるところ難事業に成功
したので、後年此の地に奉遷したと伝えられる。

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元禄九年の『兵庫津絵図』には佐比江を内海と記し、その入口は
九~十一米であるが、長さ二百十七米、横三十六米の入江を画き、
その岸が七宮神社の北に迫り湊口惣門の東にあった番所のそば
まで海になっている。

元禄の頃の佐比江の入江が如何に深く湾入していたかが知られる。

室町時代東大寺所管の兵庫の北関があったのはこの辺りの地点
であろうと言われている。

 寛政の頃の佐比江は


兵庫髷紅おしろいの 花の顔

 佐比江とといへど 日々に新し


 と俗謡にうたわれて、弦歌さんざめく花街であった。

今から二百年程前、佐比江の遊郭が栄えていた頃、そこの
遊女が当時白川にあった山伏山神社(祭神猿田彦命)を深く
信仰し、毎月二十四日に大勢連れだって白川まで参詣して
にぎわった。

何分遠路なので一日かかりとなって差し支えるので、遂に
猿田彦命の分霊を佐比江に勧請したと言われる。

以前に山伏山神社の事を書いています
https://singon1koumyou.at.webry.info/200910/article_4.html

猿田彦神社に当時の面影を残している。
 
明治二十八年、九年頃、この入江を埋め立て、市街地として
整備された。




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この記事へのコメント

  • ゆらり人

    驚きました。
    ビリケンさんが大阪の比ではない位、大切に扱われていたのですね。
    大阪なんは通天閣ぐらいしか印象がありませんでしたが、やはりビリケンさんが外国の女性が作られたから余計に祀られている数も多いいのでしょうか。
    やはり神戸は海運の街だけに色々な神様が居られ安全と災いを避けるために何処の神社もも大切に扱われて居られるようですね。
    ビリケンさんには驚きました。
    2019年01月23日 10:39
  • ポジティブオーラ

    ゆらり人さん
    ありがとうございます。
    私も神戸のビリケンさんは
    あまり知りませんでした。
    おっしゃるように、港を通じて
    色々な文化風習が神戸には入って
    来ていますね。
    ビリケンさんも幸運や商売繁盛
    を願って商人の方々の間で祀られて
    いたようですが、色々な事情で
    神社に預けられたのだと思います。
    神戸は、今はやりのインバウンド
    から少し取り残されているよう
    ですが、今までどうり静かで
    ハイカラな雰囲気のまま残って
    欲しいと思っています!
    有難うございました。
    2019年01月23日 13:29
  • y&m

    兵庫は西国街道の要所で良い港があったのですねぇ。当然の如く、華やかな花街が有ったりですが、歴史の表舞台に出てこないのは残念ですよ。私も本当にこの辺りの事を知らなくって。興味深く読ませて頂いております。
    2019年01月23日 19:08
  • tor

    猿田彦命は芸事の神様とも言われるそうですから遊女の信仰も厚かったのでしょうかね。小さな神社のようですが天井画も良いですね。
    2019年01月23日 19:45
  • ポジティブオーラ

    y&mさん
    以前の様な元気なコメントを頂き
    嬉しさと共に安心しています。
    ありがとうございます。
    この佐比江の北側には新開地や
    福原の歓楽街が有りますが、戦前は
    神戸の中心街として賑わったそうです。
    平清盛の夢の跡も石碑や小さな神社
    等ばかりで偲ぶのみで寂しいですね!
    有難うございました。
    寂しいですね!
    2019年01月23日 20:36
  • ポジティブオーラ

    torさん
    ありがとうございます。
    流天井画に眼を止められるとは、
    流石ですね!
    この天井画は昭和25年に、現在の
    社殿を造営し、その当時の日本画家
    の森月城、版画家の川西英らの絵画で
    拝殿天上を飾ったという話です!
    拝殿の中の様子は分からないのですが
    目を引くものが有りました。
    元々遊女や芸子がお参りしていた
    白川の山伏山神社迄は、相当距離が
    有りますし、小さな小さな神社
    ですが、なぜそこまで出向いていたのか
    深い理由があるのか?興味のある
    ところです。
    2019年01月23日 20:51
  • アルクノ

    兵庫の猿田彦神社を知りませんでした。
    頂いた小冊子にも載っていないので、地元発掘ですね。
    「新開地駅」より南東へ700mとあります。
    周囲が市街地化され、神社は狭く狭くなって街角ステーションみたいです。
    白川まで参詣して大変だったので、佐比江に勧請したんですか。
    遊女さん達の信仰と財力が解ります。
    2019年01月25日 11:23
  • ポジティブオーラ

    アルクノさん
    ありがとうございます。
    佐比江の猿田彦神社の由来が
    面白いですね。 佐比江の遊女や
    芸伎さんの信仰が篤かったのも
    確かですが、一種のレクリエーション
    的な意味もあるお参りではなかった
    のではと思っていますが
    どうでしょうか?
    有難うございました。
    2019年01月25日 14:25

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