最古の疫神祭霊地

神戸市須磨区多井畑の小高い丘の上に鎮座されています、
多井畑厄神八幡宮は今迄も何度か書いていますが、また
あらためて紹介させて頂きます。

この辺りは、須磨の海岸線から見ると、山(鉢伏山)一つ
越えた裏手になります。

古代においては、須磨の海は入江が通行の妨げになって
おり、海岸沿いは通行困難になっていました。
それで塩屋や明石に抜けるには高倉峠を越えて多井畑へ
抜ける道が利用されていました。(古山陽道)

今の様に須磨の海岸線が利用できるようになったのは
平安時代の末期ごろからだそうです。  それでも海が荒れ
ると通行が出来なくなることもあったそうです。


そして、須磨から鉢伏山、旗振山をへて多井畑厄神に続く
処は、摂津国と播磨国の国境と定められていました。

この国境の高地に厄除けの神様を祀り、畿内に災いが
入らない様に疫神(やくじん)祓い祭りを行ったという!
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この多井畑厄神八幡宮の由来として、神社の話では

【神護景雲四年八月甲寅の日、京の四隅と畿内国境の
十か所の地を選び、疫神(やくじん)祓祭りを行わせ給ひしに
はじまりし。

其の遺跡は当社の後方高地に約一反歩の地域有りて
四囲めぐらすに築土の如き物を以てせる形跡あり、厄除の
霊地として世人の崇敬篤く、後に八幡宮を勧請。

中古以来、一月十九日の疫神祭日には、徹夜参拝者夥しく、
・・・云々

実にわが国最古の疫神祭りの霊地にして、神徳また顕著
なるをしるべし。。。。と書かれています】


多井畑厄神八幡宮


御祭神

    応神天皇


由緒

■日本最古の厄除けの霊地

多井畑厄除八幡宮は、多井畑の厄神さんの愛称で親しまれ
ています。

須磨に配流された在原行平や、一の谷の合戦の際には
源義経が祈願したといわれております。

770年(神護景雲4年)6月に疫病が大流行し、それを鎮める
ために五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)の国境10ヶ所
に疫神を祀り、疫祓いが行われました。

多井畑厄除八幡宮は古山陽道の摂津と播磨国の国境に位置
していたため、その一つとして疫神が祀られたと伝えられています。

境内摂社
 高良社・稲荷社・(不明?)
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多井畑八幡宮より更に上がったところに疫神祭塚があります
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疫神祭塚
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柵で囲まれている中に小さな塚が見えます。前の水槽で
紙の”ひとがた”を水につけて厄を落とします
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昔の絵図が良く雰囲気を表わしています
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少し整理しますと

  先ず、神護景雲四年(770年)六月、この国境の丘の上で
  疫神祓が行われた遺跡が、疫神祭塚です。

  その後、年代は不詳ですが、この地に石清水八幡宮を
  勧請。

  そして、80代高倉天皇の時代(1175年頃)に八幡宮の社殿
  を造営。

・・・と言う順序です。

多井畑八幡宮 ご朱印
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厄年の意味について (神社HPより引用)

厄年とは、災難や障りが身に降りかかりやすい年のことです。

数えで男性は25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳・61歳
が厄年にあたり、その前後を前厄・後厄と言います。
この他に、小厄と呼ばれる歳もあります。

厄年の「ヤク」とは「役目」の「役」の」ことで、共同体の中で
重要な役割を担う年齢のことであった。

特に神事に関わる役目を担うことから、厳重な物忌みなどが
求められたが、次第にもとの意味を失い、身を慎む習慣が
残ったという説もあります。


厄祓いについて

厄祓い

人生の中での大きな転機・節目を迎えるこれらの厄年に、災厄
が身に降りかからないよう、神社にお参りして厄祓いをします。 

交通安全・車の御祓い

車の新規購入、買い換えた時や、法定点検毎、等々の節目で、
神社にお詣りし、その奉告、並びに安全を祈願し車両をお祓い
いたします。
個人の方の普通乗用車に限らず、商用車や大型トラックも
お祓いいたします。



【豆知識】

厄年の過ごし方


厄除のお守りを身につけたり、身近に置いたり、屋根に
乗せるなどのしきたりもある。

日頃から身につけてるもの、手ぬぐいや櫛を捨てて一緒に
厄を落とす。

親しい人たちを招いて酒肴でもてなし、自分の厄を持って
帰ってもらう。

その時「厄」と表書きした饅頭などのおみあげを持って
帰ってもらう。

うろこ模様のものを身につけると良い。

神様の御加護をいただいて災厄が身に振りかからないよう、
神社にお参りし厄祓いをする。

節分の夜、年の始め、誕生日、厄除祭のときに厄祓いを
するのが一般的。

多井畑厄除八幡宮では1月18日~20日に厄除祭を行って
おります。

(以上は神社HPより引用)


//////この多井畑八幡宮のすぐ近くには、

源 義経腰掛の松(ほんがんさん)

源義経一行が多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願したおり、この
松の木の下で休息をとった後、一の谷に向かったと伝えられ
ています。
それからのち、村人はこの場所に社をつくり「ほんがん(判官)
さん」の愛称で親しみと尊敬をこめておまつりしています。

ただ、実際のところ、『○○の逆落とし』といわれる場所が、
一の谷か?もしくは鵯越か?で話は大きく変わります。

鵯越が逆落としの場所だとすれば、義経はこちら迄は来て
いません。

その時は、塩屋の土肥次郎実平の陣に向かった、熊谷次郎
直実は、この場所を通っていると思われます。
平家物語では、その様に書かれています。

義経自身は本隊を土肥次郎実平に預けて、自身は少数の
手勢で、藍那、高尾山を経て鵯越から、旧明泉寺付近の
夢野口から海岸線に掛け、平家陣営の中央突破のように
進んだと思われます。

/・・・多井畑八幡宮の昔の絵図を見ても、「鏡の井」「松風村雨
の墓」は描かれていますが、義経腰掛の松はありませんね!


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宝篋印塔や小さな五輪塔が沢山有りました
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また、在原行平が寵愛したと言われる、松風・村雨の

鏡の井
松風村雨の姉妹が姿を映した姿見の井戸
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松風村雨のお墓

地元である須磨で語られる伝説によれば、姉妹は多井畑の
村長の娘たちで、本来の名は「もしほ」と「こふじ」であった。

須磨に汐汲みに出たところ、天皇の勘気を蒙り須磨に流され
ていた在原行平と出会い、「松風」「村雨」と名づけられて
愛された。

のちに行平は赦されて都に帰る際、松の木に形見の烏帽子
と狩衣を掛けて残した。

また『古今和歌集』にある

立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 

まつとし聞かば いま帰り来む

(巻第八・離別 在原行平)の歌も、この離別の際に詠んだ
ものとされる。

松風・村雨姉妹は尼となって行平の旧居に庵を結び、彼を
偲んだという


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松風村雨二女の碑
 左が姉の「もしほ」松風、右が妹の「こふじ」村雨と・・・
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この記事へのコメント

  • y&m

    やはり旧山陽道は海が有れると、通行不可になるような険しい道だったのですねぇ。今日、節分のお参りに行った時、息子の後厄のお祓いをしてきました。どうもねぇ、神社に行くと、厄払い、やっちゃいますねぇ(笑)。
    2019年02月02日 19:10
  • ポジティブオーラ

    y&mさん
    随分と回復されておられるようで
    良かったです!
    須磨浦の海岸線は、奈良時代以前
    は、赤石の櫛淵と云われ、殆ど
    通行不能だったようです。
    それ以降、海が穏やかな時には
    通行されるようになったそうです。
    厄年にも色々な意味付けがされて
    いますが、自分の生活習慣を
    見直すには良いと思いますが、
    最近は厄落としにお参りする人も
    少なくなって来ているようですね。
    この多井畑厄神さんも、昔は縁日には
    東須磨からずっと屋台が出たりして
    昼夜を問わない多くの人出で賑わった
    という話です。
    十数年前でも、須磨駅前からのバスに
    乗る人の行列が凄かったのですが、
    ここ最近は行列も少なくなった様に
    思います。
    時代の変化を感じます。
    ありがとうございました。
    2019年02月02日 20:00
  • tor

    こんばんは。
    今日は熊本市の二つの稲荷神社で初午大祭でした。
    福餅がまかれ多くの人が福を求めて参拝されてました。
    多井畑厄神八幡宮は名前のとおり
    日本最古の厄除けの霊地なのですね。
    急な石段が長く続いているようですね。
    本厄の時は注意しているので
    わりと何事もなかったり…
    私もフルマラソンで自己ベストを出しています。
    でも後厄で交通事故にあってしまいました。
    年齢的にも重要な役についたり
    体力の曲がり角だったり…
    横道にそれてしまいましたね。

    最近は縁日の参拝者減少しているのですか?
    2019年02月02日 20:21
  • ポジティブオーラ

    torさん
    ありがとうございます。
    私の身近な神社やお寺の様子を
    見ている限りでの感じですが、
    縁日の参拝者はかなり減っている様に
    見えますね!
    子供のころに体験した、西宮戎の
    十日戎などでは、怖いぐらいの
    人出でしたが、数年前に何度か
    十日戎の日にお参りしましたが、意外に
    感じるほど、ゆったりお参りでき
    ました。
    厄も考えようですが「大難が小難に、
    小難が無難に、なったと喜ぶ」のが
    良いようです!
    黒住宗忠卿は『難あり有難し』と
    受け止めていますね。
    ありがとうございました。
    2019年02月02日 20:40

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